復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月25日「那覇空港自衛隊用〝改造〟で運輸省と防衛庁が対立」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月25日の琉球新報1面トップは、「田中首相きょう訪中/さっそく首脳会談/順当なら28日にも声明」との見出しで、日中国交正常化を目指す田中角栄首相が25日御膳に中国入りすると伝えている。記事では「日本の首相が中国の首都に赴くことは田中首相が戦前、戦後を通じて初めて」と記している。

 首相訪中に関連して「対日全関係、ただちに停止か/日中共同声明迎える国府」との見出しで、台湾側の動きを伝えている。さらに別稿で「国府海軍が示威の演習/台湾海峡で」と、台湾の駆逐艦5席が21日に「特別偵察任務の一環」で台湾海峡で砲火示威演習を実施したことも紹介している。

 那覇空港への自衛隊F104J戦闘機の配備を巡って「那覇空港、滑走路延長工事で対立/自衛隊用に〝改造〟/運輸省・防衛庁、ネット設置場所めぐり」との見出しを掲げている。記事では「F104受け入れのため、防衛施設局がいま滑走路の延長(150メートル)工事を急いでいるが、これとともに、F104およびT33J練習機の離着陸に必要なバリア(安全対策施設ネット)を滑走路に早急に敷設したい―と、航空局那覇空港事務所(佐藤亮吾空港長)に申し入れている。(中略)那覇空港事務所は、民間航空機の離着陸との関係で、この自衛隊機用バリア敷設については出先機関の責任で了解を与えることはできないとして、運輸省本庁と防衛庁の交渉にゆだねているが基本的には敷設せざるを得ないとされている。ただ敷設位置をめぐって、T33用のバリア(ネット)は問題はないとしても、F104用について、防衛庁の要求と、運輸省の見解が食い違い、結論は出されていない」という。

 具体的には「防衛庁が主張している場所には、復帰前、米軍がファントム戦闘ジェット機の緊急事態用にと設置したバリアがあり、いまは閉鎖して使っていないが、防衛庁はこれをそのまま使いたいというもの。運輸省が指定する場所に新たに設置すると工事費用が約5千万円もかかること、工事に期間がかかることがその理由。しかし運輸省はこのバリアが滑走路の中央に寄りすぎること、また民間空港となった現在、この場所はまずいとしている」と説明している。

 米軍キャンプ・シュワブ内での基地従業員射殺事件の関連で「反基地・自衛隊闘争を強化/復帰協・原水協、『射殺』をきっかけに」との見出しで、反基地闘争にもさらに火を付けていると紹介している。金武村での抗議追悼集会が25日から開催されるとの告知記事も掲載している。

 さらに基地従業員射殺時件を受けた動きとして「決断迫られる屋良県政/自衛隊募集業務、軍用地など」との見出しで、事件で「県民に一層反基地、反自衛隊感情がつのりつつある中」屋良朝苗知事が対応を迫られる事態となっていることを伝えている。記事では「これらの問題処理では、いち早く『拒否』の態度を打ち出した革新市町村長会から県に対する強い突き上げがあり、さる8日の県執行部と革新市町村長会との懇談階で『早急に両者代表で小委員会を設置、対処策を打ち出す』ことを決めた。ところが、その後20日近くが経過したが、いまだに小委員会さえ設置しておらず、同問題に対する県の取り組みはかなり遅れている」と指摘している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。