復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉11月24日「厳しい沖大の存続/屋良知事」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年11月24日の琉球新報1面トップは、「衆院選あすから立会演説会/〝対決点〟を明確化/各候補、独自政策打ち出す」との見出しで、衆院選の大きなヤマ場が訪れることを告げている。

 沖縄振興開発審議会の出席で上京してた屋良朝苗知事が沖縄に帰任した会見について「厳しい沖大の存続/屋良知事、政府折衝終え帰任」との見出しを掲げている。記事では屋良知事の発言として「開発計画の沖縄開発庁第1次試案は、実質的に知事案がだいたい反映されていると思う。沖大問題では前進した回答は得られず、文部省は存続について非常にきびしい態度を崩さなかった」と述べたと紹介している。

 日本弁護士連合会主催の人権擁護大会が沖縄で開かれるのに当たり「基本的人権の確立を/きょうから日弁連大会」との見出しで報じている。記事で日弁連の松井事務総長らが会見した様子を伝え「施政権は返還されたが、現状は沖縄県民の失われた人権の回復というにはほど遠い。憲法下に一体となったいま、お互いが認識を深め、人権擁護のために闘っていこう」とアピールしたことを伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。