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「俺みたいなのが勉強できる場所がたくさんあったら」学び直しに励む男性の思い 沖縄県の夜間中学不認可


この記事を書いた人 Avatar photo 嘉数 陽
英語の授業で教師に質問する城間清廣さん=9月、南城市の珊瑚舎スコーレ

 珊瑚舎スコーレ高等部を運営する雙星舎(そうせいしゃ)が県に出していた私立の夜間中学校設置の申請が認められなかった。現在開設している夜間中は自主設置のため、修了しても中学卒業の学歴を得ることができない。これを改善し、卒業証書を出せるようにするための申請だった。当事者、関係者からは県の判断を残念がる声が上がっている。

 雙星舎が2004年に那覇市で開校した自主夜間中学校は現在、南城市に移転。開校から20年度までに190人が入学し、95人が卒業した。うち32人は高校への進学を果たした。戦中・戦後の混乱や若年出産、不登校などさまざまな背景から教育の機会を十分に受けられなかった人たちが通い、学び直しに励んでいる。ただ、認可された学校ではないため、修了しても中学卒業とはならない。不登校でスコーレに通っている中学生は、在籍する学校で卒業証書を発行することができるが、成人の生徒らは修了しても証書をもらうことはできない。

 7年前から珊瑚舎スコーレ夜間中学校に通っている城間清廣さん(67)=南城市。市シルバーセンターで働き終業後に学校へ通う。「自分の名前、今は漢字で書けるよ」。記者からペンとノートを受け取ると「清廣」と書いてみせた。「楽しいよ、できることが増えるのは。同級生がいるのもいい」。充実感が笑顔に表れていた。

記者からペンとノートを受け取り、自分の名前「清廣」を書いてみせた

 父親は佐敷生まれ。出稼ぎのためブラジルに移り、現地の女性と結婚した。兄弟は11人。暮らしは厳しく、兄弟は父の仕事を支えた。城間さんも、早朝3時に起きてタクシー運転手をしていた父の車を洗うなど手伝った。ブラジルの学校に通っていたが「疲れて毎日眠くて、何を習ったか覚えてない」。

 16~17歳の頃、家族で佐敷に戻った。日本語は近所の人たちと交流しながら自力で覚えた。仕事は筆記や会話の機会の少ない業種を選ぶしかなく、コンクリートパイルを製造する工場で働いた。知人に夜間中を紹介され、60歳で入学。今は漢字や足し算、かけ算、英語などを習っている。

 授業中は誰よりも笑顔が多い。気になったことはすぐ質問する。10代で佐敷に戻った時は、「言葉も通じないし、漢字も書けないし、もちろん読めない。こっちの小学校の勉強をしないといけないけど(義務教育の年齢も過ぎていて)できないし、恥ずかしいと思った」。

 夜間中への入学も少し躊躇(ちゅうちょ)したが、学びたいという気持ちが勝った。「俺みたいなのが勉強できる場所がたくさんあったらいいと思う」と話し、また授業に戻っていった。
 (嘉数陽)