復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉11月30日「基地撤去で協議会を/竹入公明党委員長」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年11月30日の琉球新報1面トップは、「日航機モスクワ墜落事故/雪原で現場検証始まる/扇形状に機体飛散/遺体の確認は難航」との見出しで、28日にモスクワで起きた日航機墜落事故の現場検証が始まった様子を伝えている。機体の破片が散らばる現場の写真も大きく掲載して報じている。

 衆院選に向けた地方遊説で来県した公明党の竹入義勝委員長の会見の様子を伝える記事では「基地撤去で協議会を/竹入公明党委員長、社民共にも呼びかけ」との見出しを掲げている。

 衆院選の沖縄県内での選挙運動にかんして「北部での攻防戦激化/8候補、拠点切り崩し盛ん」との見出しで伝えている。関連で「きょうから政見放送」との記事も。

 「選挙レーダー」には「右も左も真っ暗やみ」との見出し。選挙戦も中盤の山場を迎えて「内ゲバ選挙」の様相が濃くなってきたと伝えている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。