復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉11月29日「沖縄開発庁も吸収か/田中首相、国土開発庁設置で指示」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年11月29日の琉球新報1面トップは、「沖縄開発庁も吸収か/田中首相、国土開発庁設置で指示/ゆらぐ〝復帰施策〟/行政機構の一本化へ」との見出しで、田中角栄首相が「日本列島改造」推進に向けた政府機構のあり方について、開発行政機能を一本化する「国土開発庁」のような組織を検討するよう指示したと紹介している。

 日中国交正常化を果たした田中内閣にとって「20年の日台関係に終止符/双方の大使引き揚げ」と、台湾との国交断絶となったことを伝えている。

 サトウキビ価格をめぐって「低いキビ価格に抗議/近く郡民総決起大会開く/八重山」との見出しで、農林省告示の基地買い入れ価格に抗議する声が八重山で上がっていることを伝えている。

 衆院選の周辺状況を伝える「選挙レーダー」は「各候補〝モグラ作戦展開中〟」との見出しで、地下に潜った選挙活動を展開している様子を紹介している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。