平和願う思い 次代に テニアン、戦争犠牲者追悼


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
テニアンの「沖縄の塔」に花を供える帰還者会の上運天賢盛会長(左)、祖堅秀子さん(中央)、照屋寛成さん(右)=3日、テニアン島(国際旅行社提供)

 太平洋戦争で日米両軍の地上戦が行われた旧南洋群島の沖縄県出身戦没者を追悼する「南洋群島慰霊と交流の旅」の参加者のうち8人が3日、テニアン島を訪れ、「沖縄の塔」に花を供え、犠牲者を追悼した。戦争から80年近くたつ中でも現地訪問を望む遺族の声は根強く、若い世代も初めて参加し、平和への思いを新たにした。

 テニアン島には、米軍がサイパン島に続いて1944年7月に上陸し、県人らも戦火に巻き込まれた。

 米軍は島の北西から上陸。追い詰められた人々は、最南端のカロリナス岬から身を投げた。交流の旅の8人はカロリナス岬を臨む場所にある「沖縄の塔」を訪れ、花を供えて黙とうした。

 「南洋群島帰還者会」の上運天賢盛会長(90)は「私たちは平和に暮らしているが、今の沖縄は基地が多く、やがて戦争が始まるんじゃないかと危惧されている。安全に暮らせる沖縄であってほしい。守ってください」とあいさつした。

 サイパンで生まれ、両親やきょうだい4人を亡くした祖堅秀子さん(84)=うるま市=は、出身地の勝連平安名ではテニアン島で亡くなった人が多いため参列してきた。「あの苦しさはもう嫌だ。国は世界中と仲良くして、世界が平和になってほしい」と涙ぐんだ。

 祖父がサイパン出身で、初めてテニアン島を訪れた照屋寛成さん(18)は「人々が追い詰められて飛び降りた場所や、艦砲射撃の弾痕の残る崖など戦争の跡が生々しく残っていた。自分たちは戦争を経験していないので、見てみないと分からないところがある」と話した。交流の旅は4日、サイパン島の「おきなわの塔」を訪れ、5日に帰国する予定。 (中村万里子)