ローマ教皇庁の謝罪 キリスト教の「平和」へ努力を<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 筆者は3日の本コラムで、カトリック教会の最高指導者であるフランシスコ教皇が11月下旬、米国のイエズス会系雑誌でウクライナ戦争に関連してロシア軍のチェチェン人とブリヤート人が最も残虐だと述べたことを厳しく批判し、発言の撤回と謝罪を求めた。このような要請が全世界から寄せられたのであろう。バチカン(ローマ教皇庁)も軌道修正を余儀なくされた。

 <バチカン(ローマ教皇庁)は15日、ウクライナに侵攻したロシア軍の中で少数民族のチェチェン人やブリヤート人が「最も残虐だ」と述べたフランシスコ・ローマ教皇の発言について、ロシアに謝罪したことを認めた。/これに先立ちロシア外務省のザハロワ情報局長がバチカンから謝罪があったと述べており、確認を求める記者団にバチカン報道官が「その趣旨で外交的接触があった」と述べた>(16日AFP=時事)

 バチカン(ローマ教皇庁)としては思い切った決断をした。なぜならカトリック教会には「教皇不可謬(びゅう)性」という教義があるからだ。教皇の信仰と道徳に関する発言については、過ちを免れる、すなわち絶対に正しいということだ。ウクライナ戦争に関するフランシスコ教皇の発言は、軍事問題に関連しているので不可謬性と直接関係しないとしても、道徳と隣接している。

 このような事柄について教皇庁が教皇の発言について謝罪することは珍しい。それだけフランシスコ教皇が米誌で述べた「一般的に最も残忍なのは、恐らくロシアの伝統に属さないロシア人、例えばチェチェン民族やブリヤート民族などだろう」という認識が民族的な偏見と宗教的な蔑視(チェチェン人の大多数はスンナ派のイスラム教徒、ブリヤート人の大多数がチベット仏教の信者)が合わさった暴言だったということだ。

 教皇には世界の道徳的羅針盤であることが期待されている。この権威が揺るがされる危険があるので、公式に謝罪して悪影響をミニマムにすることが適切とバチカンが判断したのであろう。しかも、謝罪の意向を表明するだけでなく、外交ルートを通じてロシアに事実上の謝罪を行ったのは、謝るときは中途半端ではなく徹底的に謝るというバチカンの決意が示されている。こういう対応を取られれば、ロシアとしても矛を収めざるを得ない。

 もっともこれでカトリック教会がウクライナ支持の政策を改めることにはならない。ガリツィア地方(ウクライナ西部)に拠点を持つユニエイト教会(東方典礼カトリック教会)のウクライナ民族主義者の支援がカトリック教会の戦略にとって死活的に重要だからだ。

 カトリック教会はウクライナ民族至上主義を支持し、ロシア正教会はプーチン大統領のロシア帝国主義を支持している。筆者はプロテスタントのキリスト教徒であるが、一部であるとはいえ、戦争を礼賛するカトリック教会やロシア正教会の兄弟姉妹たちに対して違和感と憤りを覚える。筆者は聖書に書かれたイエス・キリストの教えに立ち返り、平和の実現に向け努力したいと思う。クリスマスイブの今日、その決意を新たにした。

(作家・元外務省主任分析官)