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「小説琉球処分」を読む 沖縄とヤマト、根源から再考<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
佐藤優氏

 19日に大学病院から退院した。20日に都内のバスキュラーアクセスクリニックで右肩に長期留置カテーテルを入れる手術をした。縫い目がまだ少し痛いが、これで週3回4時間の血液透析をすることができる。しばらくの間は、透析に合わせて抗生剤の点滴投与を続けなくてはならない。それにしても血液透析を受けるような末期腎不全が身体障害者手帳1級の交付に値する病気なのだということを今回は痛感した。

 無自覚のうちに菌血症にかかり、それがいつ敗血症ショックを起こして死んでもおかしくない病気であることを自覚した。今回、命拾いしたのは、神によって筆者にまだこの世で果たさなくてはならない使命があるからと自覚している。

 前回書いたように、筆者が生きているうちに日本政府と公文書を取り交わすような琉球語を形成することは非現実的だ。琉球標準語形成をめぐって沖縄社会に分断を作るのは筆者の本意ではない。沖縄人の政治的意識が成熟するまで待つしかない。ならばその間に、われわれにとって「外国語」である日本語を用いて沖縄人のアイデンティティーを強化する方策を考えたい。

 既に琉球新報の友人たちには相談しているが、大城立裕先生の長編「小説琉球処分」(講談社文庫から上下2冊)を琉球新報ウェビナーを用いて解説を加えながら全文輪読し、沖縄とヤマトの関係について根源から考えてみたい。この小説には琉球のさまざまな階層の人々(その中には琉球を裏切り日本のスパイとなる者も含まれる)、また日本よりも清朝を頼った脱清人の姿も出てくる。

 日本が帝国主義化していく中、沖縄人がどのように生き残りを図ったのかを追体験できる小説だ。この小説を読みながら、われわれは沖縄人なのか日本人なのか、それとも沖縄人であり日本人であるのかという思いが、私たち一人ひとりの心に迫ってくる。

 ウェビナーを用いれば、日本や世界に在住する沖縄人も(そして沖縄に関心を持つ日本人も)この読書会に参加することができる。本を輪読するだけでなく、意見交換を行い「沖縄人とは何か」という問題について、私たちの考えを深めていきたい。生前、大城先生は「文化に政治を包む込んでいくことが大切だ」といつも述べていた。ヤマト(本土)の都合によって沖縄に押しつけられた分断を、沖縄人は文化の力によって乗り越えていかなくてはならない。

 月1度のウェビナーなら、この小説を通読するのに2~3年はかかる。その間、筆者も死ぬわけにはいかない。何としても生き残ろうと思っている。琉球語は忘れかけていても、「外国」である日本語でもわれわれは沖縄人の魂を表現することができる。そのことを大城先生の作品を通じて実感したい。

(作家・元外務省主任分析官)