「人間はみな同じ」の人間観を 日本型優生思想 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し>


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 これは新しい日本型優生思想かもしれない。経済学を専門とする成田悠輔氏が、高齢者人口問題の唯一の解決策は「高齢者集団自決」と発言したことが、国外メディアでさざ波を立てた。朝の紅顔、夕べの白骨の通り、成田氏もいずれ高齢になる日を迎える。日本が戦争をする国にならない限りは、という留保付きだが。昭和の戦争は四十過ぎた人にも徴兵をかけ、空爆と原爆で日本中が死屍累々(ししるいるい)だった。沖縄では「集団自決」(強制集団死)に追い詰められた歴史があることを、成田氏はご存じだろうか。

 90歳になられた五木寛之氏の「週刊新潮」誌上のエッセーは、ご苦労がユーモアとなってトリクルダウン、読者に届く素晴らしいエッセーだ。長老のご活躍は他にもある。昨年2月に、戦争を体験された90歳以上の著名人18人が集まり、外国特派員協会で「不戦の決議」を宣言した。その集まりとは「東アジア不戦推進機構」だ。代表者は元早稲田大学総長の西原春夫氏で、西原氏は今年2月に亡くなられた。18人中7人が既に故人になられている。

 死が近いことを知る方々に「集団自決」という言葉を投げる感性は、同性婚の法制化に拒否感を示す人々と同根、どちらも日本型優生思想だ。優生思想の持ち主は、他者の生命と自由を軽んじ、個人ではなく集団として人間を見ている。また、選ばれた人間である自分は、他者の生命と自由を社会の外に掃き出し、時には抹殺する自由があると錯覚、妄想している。

 亡夫も生きていたら90歳だ。家出同然で上京し、学費滞納で大学を中退、活路を探して都会の吹きだまりをうろつく中で、任侠(にんきょう)の人にも出会い、仏にも出会って自分の人生を築いた。最底辺にも暮らした体験が、しょせん人は皆同じ、地位、職業、年齢、貧富、とりわけ学歴の違いが、人格、人柄をつくるわけではない、という人間観を育てた。

 沖縄観光コンベンションビューローが「沖縄観光親善大使ミス沖縄」の選出を「休止」すると発表したが、いっそ今後は止める、と宣言した方が良かった。女性美のコンテストは中世のヨーロッパで既に行われ、日本でも明治期に美人の格付けコンテストはあった。女性の容姿を衆人が見る中で、未婚を条件に競い合わせ、美の基準で商品化する時代遅れな人間観が根っこにある。このような人間観がある限り、優生思想は後を絶たない。この先は、就活代わりにミスコンに応募する女性がいなくなる時代が来るだろう。

 いつまでも変わらぬ女性美を自身も求め、求められるより、老いるままに幸せに老い、男女等しく年輪と風格を見る社会が、真のジェンダー平等だ。

(本紙客員コラムニスト、辺野古基金共同代表)