小学5、6年生や中高生を対象に県が初めて実施したヤングケアラー実態調査では、さまざまな事情から家族の世話を続ける頻度や時間が増すほど、そうでない児童生徒に比べて学業への影響や健康、進路の不安が高いことが分かった。児童生徒にはヤングケアラーへの認識はあるものの、世話から派生する悩みの深さに比べ、自分が当てはまるという自己認識は低く、年齢が低いほどその乖離(かいり)が大きい。小学校時代から母やきょうだいの世話に追われたという20代の女性は「アンケートに込められた気持ちを大事にしてほしい」と願う。県は、児童生徒が悩みを話しやすい環境作りを急ぐ。
母やきょうだいの世話をするのは日常で、誰かに相談することじゃないと思っていた。小学校から高校にかけて母親が2度長期入院し、多忙な父の代わりに発達が緩やかな妹と弟の世話をしてきた20代女性。自身の経験が「ヤングケアラー」という言葉に当てはまるかは分からないが、「話を聞いて認めてくれる大人がいてほしかったかな」と振り返る。ヤングケアラーという言葉すらなく、支援の乏しかった時期でも「ここまで生きてきた」という立場から、県の実態調査に気持ちを振り絞って答えた児童生徒には「絶対に自分を諦めないでね。助けてくれる大人がいるから」と伝えたい。
料理、洗濯、勉強
小学6年の冬、体調が悪かった母が入院すると、療育センターから帰ってくる妹と弟の世話に追われた。父は夜も仕事だ。夕食を作り洗濯を済ませると、食事はきょうだいが全部食べてしまい、自分の分がない。空腹のまま宿題を終えるころには深夜になっていた。授業中は眠たくてしょうがなかった。
中学1年の夏に母が退院して戻って来ると、母恋しさに学校を度々早退した。きょうだいが帰ってくるまでの時間が楽しかったのを覚えている。
母には調子の悪い日があった。中学3年の秋、母の取った衝動的な行動に、父が「出て行こうかな」と漏らした。タイミングよく行われた学校のアンケートに悩みを打ち明けた。翌日、教員が話を聞いてくれたものの「『親戚に相談したら』って。一人でどうしようもないから書いたのに」。そのこともあって、スクールカウンセラーとの面談は断った。
支援のありがたみ
勉強嫌いではなく成績に悩むことはなかったが、中学3年の冬に母が再入院し、受験が不安だった。幸いにも高校は推薦で合格。高校2年の頃に退院した母は以前より状態が安定していた。一方で自身は高校3年の夏から体が重く感じるようになって登校できなくなり、大学は通信制を選んだ。
そんな頃、母の自立支援サービスとしてヘルパーを利用したことで「幸せ」が訪れた。帰宅すると食事があり、食器が洗われている。「家事一つ減るだけで十分助かった」。しばらくして1人暮らしを始め、就職した今は度々実家にも顔を出している。
声見逃さないで
学生時代と今を比べると、スクールソーシャルワーカーや子ども食堂の存在に「学校の内外にも居場所があり、話せる人がいる意義は大きい」と思う。あの頃、家族以外で話を聞いてくれる大人に、自分を認めてほしかった。「できれば同性がいい。生理用品の話は父に言いにくかったから」
相談相手としては身近な大人として教員が浮かぶが、子ども心に「大人に言ってもだめだ」と感じた記憶は残っている。だからこそ「先生たちも生徒の家庭に介入するのは難しいはず。でも、アンケートに込められた気持ちを大事にしてほしい」
今は児童発達支援関連の仕事に就き、子どもたちに社会で生きていく所作などを教える。「妹や弟の世話をしていた分、子どもたちの伝えたいことが分かるんです」と、声を弾ませる。
過去を振り返ると今でも気持ちが落ち着かなくなることもある。全てが思い出になるのは時間がかかりそうだ。でも、「今まで何とかやってきましたから」と日々を歩んでいる。
(嘉陽拓也)