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米軍基地で習ったブラウニー 沖縄戦乗り越え今も店に立つ85歳の創業者の思い うるま市の菓子店「アラモード」愛され半世紀 沖縄


米軍基地で習ったブラウニー 沖縄戦乗り越え今も店に立つ85歳の創業者の思い うるま市の菓子店「アラモード」愛され半世紀 沖縄 親子で洋菓子作りに励む佐次田秀美さん(右)と司さん=8月20日、うるま市石川の「アラモード」(喜瀬守昭撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 玉城 文

 銀紙の包みを開いて口に運ぶと、チョコレートの風味が広がる。外側はカリッと、中は程よく柔らかい。ちりばめられたナッツの歯ごたえが良いアクセントの洋菓子「ブラウニー」。うるま市石川にある「アラモード」の看板商品だ。そのレシピは創業者の佐次田秀美さん(85)が米軍基地で米国人から直接習った。佐次田さんは沖縄戦当時、家族と戦場を逃げ回った。戦後、米軍嘉手納基地で働き、ベーカリー技術を習得。1973年に店を開き、ブラウニーを並べて以来、地域で愛され続けている。

 価格は1個60円。アラモードのショーケースには他にも手頃な価格のケーキが並び、客は途切れることなく訪れる。「おいしくて安い」をモットーに、佐次田さんは店に立ち続けている。

 沖縄戦を生き抜き、1970年ごろから米軍嘉手納基地で働き始めた。当時は復帰運動が盛んで、基地内で人員整理の話も聞こえた。いずれは自分の店を持つことを念頭に、ベーカリー部門に配属を希望した。そこで片言の英語で米国人から学んだのが、ブラウニーだ。

 73年、アラモードの前身である「佐次田ベーカリー」を石川中の隣りに開店した。ブラウニーのほかドーナツ、シャーベットが主力商品になった。昼休みになると、中学生が押し寄せた。妻の故・春江さんは「十数分で、うっさ(こんなに)貯まとん」と、手のひらいっぱいの硬貨を見て大喜びしたという。

石川中隣りにたたずむ「アラモード」。客の足が絶えない=8月14日
石川中隣りにたたずむ「アラモード」。客の足が絶えない=8月14日

 2009年ごろ県外や那覇で経験を積んだ次男の司さん(58)が店を継ぎ、店名をフランス語の「アラモード」に変更。仏と米仕込みの味を親子二人三脚で提供している。

 創業時から「おいしくて安い」を信条とし、中学生や近所の人たちが気軽に寄ってくれることを大切にした。その根底には母ツルさんの教え「誠ぬ心んかいや弓矢立たん(誠実であれば弓を引かれない=正直者、誠実でありなさい)」がある。物価高騰を受け、やむなく23年に10円値上げをしたが、「おいしさのためお金をかけるところは出して、材料を試しながら」(司さん)と試行錯誤で価格を抑える。

 アラモードは年中無休。午前10時~午後10時開店。秀美さんは「仕事で遅くなっても『あの店なら開いている』と信じて、記念日のケーキを買いに来てくれるからね」と常に客の目線だ。旧盆ウークイに当たる8月18日は午後7時を過ぎても、店は客でにぎわった。最近は本やインスタグラムに載り、県外海外からの客もいる。「お客さんの喜ぶ顔が見たい。これからも誠実に続けていくよ」。秀美さんはきょうも店に立つ。

(9月19日付の本紙「未来に伝える沖縄戦」で佐次田さんの体験を紹介する予定です。)

 (玉城文)