沖縄戦で失われたとされた「忠魂碑」を発見 豊見城中学校の工事現場で出土 市資料展示室で展示


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豊見城中学校の改装工事中に地中から発見された忠魂碑。「碑」の部分が削られている=10日、豊見城市伊良波の豊見城市歴史民俗資料展示室

 【豊見城】日清、日露戦争などで死没した軍人を顕彰するために、大正から昭和初期に建てられた「忠魂碑」が、豊見城市宜保の市立豊見城中学校の工事で地中から見つかり、市歴史民俗資料展示室での展示が始まった。建立時期は不明だが、1933年に当時の豊見城村役場(現・豊見城中学校)で撮影された写真に写っている。市教委などの調査で「沖縄戦の中で失われた」とされていた。

 市教育委員会文化課の与那嶺豊さんは「なくなったと思われていた忠魂碑が発見された意義は大きい。戦時下の社会情勢を伝える歴史的遺跡で、平和学習の資料として活用できる」と話す。豊見城中は1949年に現在地に移転したことから「学校の整備や、何らかの理由で埋蔵された可能性もある」として忠魂碑に関する情報の提供を求めている。

 忠魂碑は、上部と下部、裏面に破損がある。表面に「大正」と「昭和八年」と刻まれている。裏面には一部判読できないものの、揮毫(きごう)者の名前が確認できる。

 大きさは縦150センチ、横50センチ、厚さ12センチ。自然石のニービ(細粒砂岩)を使用している。2020年に発見され、中学校の工事が終わったことから、このほど展示室に移管された。

 忠魂碑は、戦死者の追悼や戦死を賛美することで国家への忠誠、戦意の高揚などに利用された。県内の各市町村でも盛んに建立され、2015年の県立埋蔵文化財センターの「県の戦争遺跡」によると30基ほど残っている。
 (岩崎みどり)

1933年に撮影された写真。今回発見された忠魂碑が写っている(提供・豊見城市教育委員会文化課)