太平洋戦争で疎開船が尖閣で遭難、政府に遺骨収集を求め 加藤厚労相「検討したい」


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加藤勝信厚労相(右から4人目)に尖閣列島戦時遭難事件についての要請書を提出する八重山広域市町村圏事務組合議会の箕底用一議長(同5人目)と、要請に帯同した西銘恒三郎衆院議員(同1人目)=25日、厚労省

 【東京】太平洋戦争末期の1945年7月3日、石垣島から台湾への疎開船が尖閣諸島に漂着した尖閣列島戦時遭難事件から78年となるのを前に、八重山広域市町村圏事務組合議会(箕底用一議長)が25日、加藤勝信厚生労働相らと面談し、遭難者の遺骨収集の実現を求めた。

 尖閣列島戦時遭難事件は、45年6月30日に住民らを乗せ石垣島を出港した2隻の疎開船が、7月3日に米軍機の攻撃を受け1隻が沈没、1隻が尖閣諸島の魚釣島に流れ着いた。約1カ月の遭難で犠牲となった多数の遺骨が未収集のままとなっている。この点を踏まえ、箕底氏ら議員団は(1)遺骨収集、慰霊祭の援助(2)資料館建設など慰藉事業の実施―の2点を求める要請書を提出した。

 要請後に取材に応じた箕底氏は「戦後78年が経ち、遺族の方たちも高齢化している」とし、国に早期対応を求めた。同氏によると、加藤氏は「関係省庁、政府内で検討していきたい」と答えたという。
 (安里洋輔)