羽衣伝説の地で石畳やグスク時代の香炉が出土 南風原町史跡の「御宿井」 古くから祈りの場か


この記事を書いた人 琉球新報社
南風原町の町指定史跡「御宿井(ウスクガー)」の調査現場。白い琉球石灰岩の石畳が18世紀頃に造られたとみられる部分。年代の異なる石畳があり、造設が繰り返し行われてきたとみられる=12日、南風原町宮城

 【南風原】南風原町宮城にある町指定史跡の井戸「御宿井(ウスクガー)」から18世紀ごろに造設されたとみられる琉球石灰岩の石畳や、16世紀以前のグスク時代のものとみられる香炉の一部が見つかった。同井戸は羽衣伝説の残る史跡。町教育委員会の学芸員、保久盛陽(ほくもり・あきら)さんは「グスク時代に、この場所で祈りなどがあった可能性を示唆する貴重な成果だ」と話した。

 御宿井はこれまで、戦後に整備されたとみられるコンクリートで覆われていた。同井戸を管理する宮城区自治会(玉城雅史区長)が周辺整備を計画。5月下旬から町教育委員会の立ち会いの下、工事を進めたところ石畳が出土した。6月初めから同町教委が調査を行ってきた。

 石畳は造設時代が異なるとみられ、最も古いとみられる石畳は幅120センチ、長さ90センチほどの間に、6枚の琉球石灰岩が並べられている。石畳がある地層からは、18世紀ごろに使われていた陶磁器の破片が見つかっており、同時期に造設されたとみられる。発掘調査でさらに下の地層を調べたところ香炉の一部が出土した。この地層からは16世紀以前のグスク時代の青磁や白磁、貝などが出土しており、香炉も同時代のものと考えられる。

 保久盛さんは「グスク時代にこの周辺で生活が営まれてきたことは、これまでの調査で分かっていたが、改めて確認できた。香炉の出土から、当時から(この場所で)祈りなどが行われていた可能性があると言える」と話した。

 同教委は6月末まで発掘現場を公開する。その後は宮城区自治会と相談しながら整備する。

 御宿井は「琉球国由来記」(1713年)などに羽衣伝説の言い伝えが残っている。現代でも同地域では旧1月3日(ハチウビー)などで拝所として活用している。玉城区長は「羽衣伝説の場所だと聞いてきたが、実際に遺跡が出てきたのに驚き、誇りに感じている」と話した。
 (岩崎みどり)