牛尾治朗さん死去、沖縄の関係者ら悼む声 観光にいち早く注目 人材育成も熱心に


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談笑する牛尾治朗氏(右)と稲嶺恵一元知事。2017年2月、那覇市内であった「ダイキン・オーキッド・レディス」の前夜祭で(稲嶺恵一氏提供)

 牛尾治朗さんは、沖縄観光の可能性にいち早く着目し、沖縄の特性を生かした経済振興を図る必要性を何度も強調した。訃報を受け、親交のあった県内関係者らは功績をたたえ、別れを惜しんだ。

 牛尾さんが初代代表幹事として関わった沖縄懇話会は、元日本興業銀行頭取の中山素平氏が提唱し、90年に発足した。96、97年に代表幹事を務めた稲嶺恵一元県知事は「沖縄の産業界を育てるんだという意識があり、色んなカラーに巻き込まれないリーダーとして、中山さんが牛尾さんを選んだんだろう」と振り返る。

 懇話会の代表幹事を務める琉球放送の小禄邦男最高顧問は、20日に牛尾さんの家族から訃報を受けた。「巨星墜つ。かけがえのない人を亡くした」と残念がった。

 87年ごろ、女子ゴルフの「ダイキン・オーキッド・レディス」の沖縄誘致に取り組む中で、牛尾さんと知り合った。「裏表がなく真っすぐで、『沖縄の人は内弁慶にならず、本土に主張すべきは主張すべきだ』と語っていた。若い人材の育成にも熱心だった」と悼んだ。
(當山幸都)