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私は1979年2月に西銘順治県政で副知事に就任し、嶺井政治さんもほぼ同じ時期に県の総務部長に就いた。自民党重鎮の山中貞則さん(初代沖縄開発庁長官)のところにあいさつに行った時に、前職を私が琉球大で嶺井さんがNHKだと言ったら、不思議な顔をされたのを覚えている。
嶺井さんは西銘さんの腹心の部下として西銘さんから深く信用され、ずっと一緒だった。性格は非常にまじめで、誰かに物事を依頼されたら、とにかく一生懸命に取り組んでいた。バランス感覚にも優れていた。
県立三中の先輩でペルー生まれの嶺井さんと米国に留学していた私とで、お互いに外国で暮らした経験があることもあり、いろいろなことを教えてもらえた。
1989年ごろだったと思うが、西銘県政の幹部OBが集まって親睦の模合を始めた。「銘友会」と名付け、ゴルフをしたり時には政策についての討論もしたりと毎月一度親睦を深めた。嶺井さんは酒はそれほど飲めなかったが、カラオケが好きで、歌詞を見ることなく、そらんじていたのがとても印象的だ。
銘友会はずっと続いていたが、ここ数年はコロナもあって集まれていなかった。嶺井さんとはよく話をしていろいろな思い出があり、とてもさみしい。
(元副知事、談)