「琉球の織り色」に魅せられ 海外に残る図柄を調査、王国伝統の技を再現 「首里の織物」人間国宝・祝嶺恭子さん


社会
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 沖縄が誇る工芸に新たな人間国宝が誕生する。「首里の織物」で認定される祝嶺恭子さん(86)は、先人が残した宝を受け継ごうと地道に努力を重ね、後進の育成に尽力した。関係者は吉報を喜び、沖縄文化のさらなる発展に期待を寄せる。

人間国宝認定の思いを語る祝嶺恭子さん=那覇市識名(大城直也撮影)

 人間国宝に認定されることになった祝嶺恭子さん(86)は、柔らかな口調で「使命」という言葉を繰り返した。沖縄戦で多くが失われた琉球の染織。祝嶺さんは海外に残された琉球王国の染織物を丹念に調べ、再現の道筋を示した。「先輩から受け継いだこと、先人が築いてきたものを調査して身につけた分、つなげていく使命があると自覚している」と話す。

 染織との出合いは、那覇高卒業後に進んだ東京の女子美術大だった。民芸運動の提唱者・柳宗悦氏の甥で、染織作家の柳悦孝(よしたか)氏の指導を受け、「この仕事にのめり込むきっかけになった」

 首里高染織科や県立芸術大で指導に取り組み、伝統織物の研究や技術の習得に励んだ。首里王府の王族、士族用に発達した首里の織物には「驚くほどの知恵が盛り込まれている」と語る。

 1992年から半年、文部省在外研究員としてベルリン国立民族学博物館所蔵の琉球の染織117点を調査した。先人の手が生み出した1点1点をルーペでのぞき、糸の本数や組み合わせを調べ図案に起こした。昼食の時間も惜しみ没頭した。

 沖縄に戻って再現すると、先人の知恵と工夫にはっとさせられた。「経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が交わり想像もできない色が生まれる」と、「琉球の織り色」により一層魅せられた。後進が再現できるよう設計図を整えた。

 染織家、指導者、研究者として休みなく過ごした60年余。人間国宝認定は「不安が大きい」としつつ、宮平初子さん、平良敏子さんら沖縄の伝統工芸を支えた保持者が亡くなった今、「引き継ぐべきだと納得した」と継承の使命をかみしめる。

 「古典から学ぶことはとても大きい。伝統を深く学び、それを基礎に時代に合ったものを作っていってほしい」と次世代への思いを語った。

(座波幸代)


「待っていた」歓迎 関係者ら業界活性化に期待

 祝嶺恭子さんが「首里の織物」で人間国宝に認定されることを受け、県内で染織に携わる関係者からは「待っていた」「人間国宝にふさわしい」など歓迎する声が相次いだ。

 首里織の振興に取り組む那覇伝統織物事業協同組合の安座間美佐子顧問は「昨年(人間国宝だった)宮平初子先生が亡くなった。寂しい思いでいただけに最高にうれしい」と喜びをかみしめた。「工芸に携わる全ての人にいい刺激になる。私たちも県民に少しでも興味を持ってもらえるよう頑張りたい」と意気込んだ。県立芸術大の柳悦州(よしくに)客員教授は、祝嶺さんがドイツで手掛けた、現地に所蔵された琉球王朝時代の染織品調査の意義を強調する。「調べるだけでなく、帰国後に復元した。さらに伝統の力と自らの独創性を融合させ、新たな沖縄の美を表している」と高く評価。吉報をきっかけに業界の活性化を期待する。

 八重山上布保存会代表で染織家の新垣幸子さんも「研究熱心で後進の育成にも力を注いでいる。人間国宝としてふさわしい」と歓迎する。「色使いやデザインも創造性が高く、学ぶことも多い。これからもさまざまな作品を拝見させてほしい」と語り、さらなる活躍を願った。

(小波津智也)

 

首里の織物 14~15世紀の琉球王国時代から育まれてきた伝統的な染織技法。中国や東南アジアから影響を受け、首里を中心とする地域で独自の発展を遂げた。高度な技術による優れた意匠を特徴とし、格調高く多彩で王族や士族用の衣服に用いられた。花倉織、花織(はなうい)、道屯織、絣(かすり)、ミンサーなどさまざまな種類がある。