prime

「身内いない彼女、証言、私しかいない」 慰霊碑に名前ない19歳「モウシさん」 目撃男性が語る刻銘への思い<伊江島LCT爆発75年>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
伊江島でLCTが爆発した時のことを話す中村英雄さん=19日、本部町

 【伊江】75年前に伊江村の大口浜連絡船桟橋(現在の伊江港)で起きたLCT(爆弾輸送船)爆発事件の被爆慰霊碑が、伊江港の近くに建立されている。1948年8月6日にロケット弾を積んだ米軍のLCTが荷崩れを起こし爆発し、107人が亡くなった。刻銘されている犠牲者は79人にとどまる。名前が刻まれていない犠牲者の一人が、本部町健堅の外間モウシさん=当時19歳=だ。外間さんは、沖縄戦で身寄りをなくした戦争孤児で、事故当時、伊江島を訪れ、爆発に巻き込まれ命を落とした。

 外間さんの存在を証言する唯一の体験者がいる。同郷の中村英雄さん(93)=当時18歳=は、漁で使っていたサバニに取り付ける動力用エンジンを探しに、伊江島を訪れていた。伊江島に向かう連絡船には外間さんも乗り合わせていた。「私の1期上の先輩だった。周りからはモウシと幼名で呼ばれていてね、本名は分からない。当日は名護で捕れたイルカの肉を売りに行くようだった」と船内での様子を振り返る。  連絡船が桟橋に到着すると、中村さんはすぐに下船し、エンジンを探しに米軍のスクラップ場へ向かった。港から数十メートル離れたところで、LCTが爆発した。「どーんと大きな音がして、港の方を見てみると黒い煙が大きな柱のようにたっていた。後から米軍が来て、けががないか身体検査された。一人で港に戻るのはとても怖かった」  

中村英雄さんが漁に使っていたサバニ。事故当日、中村さんはこのサバニに取り付けるエンジンを探しに伊江島を訪れていた=本部町立博物館

 米軍の爆弾輸送船の爆破音を聞いた中村英雄さん(93)=当時18歳=が桟橋に戻ると、砂浜には爆風で吹き飛ばされた死体やイルカの肉が散乱していた。その中に、外間さんも倒れているのを中村さんは目撃した。外間さんはおなかに爆弾の破片が突き刺さり、死んでいたという。

 事故後、連絡船が破損し本部町に帰ることができなくなったため、中村さんは伊江村の知人の家で一泊した。翌日、兄がサバニで中村さんを迎えに来た。以降、中村さんは自身の体験を家族にもあまり話さなかったという。

 伊江村福祉課によると、慰霊碑の刻銘には事故で亡くなった人の戸籍や伊江村で死亡した記録などが必要となる。直近では2019年に2人の追加刻銘があったが、以降、追加刻銘の申請は1件もないという。担当者によると、証言をしてくれる体験者の高齢化と減少が要因のひとつと見られる。
 

伊江港近くに建立された伊江島LCT爆発事件の被爆慰霊碑=伊江村川平の伊江港

 孤児だった外間さんは、戸籍や死亡記録の取得が難しく、刻銘は厳しい状況だ。しかし、中村さんは外間さんの刻銘をあきらめていない。「身内のいない彼女を誰が迎えにきたのか、葬式もあげたのか分からない。証言できるのは今は私しかいないので、外間モウシさんの名前をちゃんと慰霊碑に刻んであげたい」と話した。
(金城大樹)

【あわせて読みたい】
▼山積みの爆弾の上に米兵が上った後、山が崩れ…「伊江島LCT爆発」とは

▼【識者談話】グローバルな軍事支配が島の日常を破壊  謝花直美