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前中国大使の「琉球処分」認識 武力背景の併合を無視<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 玉城デニー知事の中国訪問に関連し、日本の全国紙がこんな記事を掲載した。

 <中国が今月(引用者註・7月のこと)、日本国際貿易促進協会の訪中団に加わった沖縄県の玉城デニー知事を歓迎しました。中国では「沖縄は中華圏の一部」という声がくすぶっています。横井裕前駐中国大使は、中国にとって現在の国際秩序は西側諸国が勝手に作ったものであって、「永遠不変のものではないと思っている」と語ります>(7月28日「朝日新聞デジタル」)。

 記者の「中国の人々は沖縄をどう捉えているのですか」という質問に対し、横井氏はこう答えた。

 <琉球王国は1871年の廃藩置県に伴い、鹿児島県に所属し、1879年には沖縄県になりました。その過程で、1871年の「宮古島島民遭難事件」を巡る日本と清国の外交交渉の中で、清側が被害者を「日本国属民」と認めることとなった経緯などがあり、琉球側の一部には日本への併合に慎重な声もありましたが、日清戦争を経てこうした「琉球処分」が定着しました。/琉球は江戸時代、日中両国に朝貢していたため、中国の中には「琉球は元々、中国の勢力圏の一部だった」と考える人もいます。中国の多くの人々が、中国にとっての最も理想的な時代は、清朝が最大版図を誇った18~19世紀だと考えているようです。/今回、中国が玉城氏に北京市郊外の「琉球国墓地」跡地を見せたのも、中国と琉球との特別な関係をアピールしたい狙いがあったと思われます>(前掲、「朝日新聞」)。

 横井氏の発言は玉城知事に対して無礼だ。玉城氏は中国側に「琉球国墓地」を見せられたのではなく、内発的意思に従って琉球人(沖縄人)同胞が眠っている場をお参りしたのだからだ。さらに1871年の廃藩置県の際に、琉球王国はそもそも日本によって冊封されていないので、「奉還」する「版籍」自体がなかった。そこで日本の中央政府は慌てて琉球王国に版籍を与え、琉球藩としたのだ。「宮古島島民遭難事件」に際しても琉球王国は台湾出兵に反対だったが、日本政府がそれを無視して軍事行動を起こした。「琉球処分」の本質は日本が武力を背景にして、琉球王(尚泰王)を東京に連行し強行した日本への琉球(沖縄)の併合である。

 横井氏は<沖縄が日本の領土であることには十分以上の法的根拠と歴史的証拠があるので過度に心配する必要はありません>(前掲、「朝日新聞」)と述べるが、筆者には日本の法的立場、歴史的経緯についてもそれほど強いとは思えない。近代的な国際法の枠組みで考えても、琉球王国は、1854年に琉米修好条約、1855年に琉仏修好条約、1859年に琉蘭修好条約を結んでいる。当時の帝国主義列強であるアメリカ、フランス、オランダから琉球王国は国際法の主体として認められているのだ。

 特に琉米修好条約については米議会で批准され、米大統領が公布している。この沖縄にとって「国宝」というべき3条約文書は「琉球処分」のどさくさの際に東京に持ち去られ、現在は外務省外交史料館に保管されている。筆者はこの3文書はいつの日か、沖縄に返還されるのが筋と考える。この経緯については、琉球処分官だった松田道之が「琉球処分」という記録を残している。朝日新聞には那覇支局がある。ここに勤務する記者はこのような記事が出たことについてどう感じているのだろうか。那覇支局の朝日新聞記者よ。あなたたちの新聞記者としての職業的良心が問われている。本件について何か書くのが筋と思う。

(作家・元外務省主任分析官)