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沖縄芝居の名優「康忠さん」、生誕100年イベント 関係者が語り合う 那覇市


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真喜志康忠について語る(左から)平良進、狩俣繁久、神谷武史=7月17日、那覇市の那覇文化芸術劇場なはーと

 沖縄芝居の名優・真喜志康忠(1923~2011年)の生誕100年記念イベント「真喜志康忠が残したもの」(那覇市主催)がこのほど、那覇市の那覇文化芸術劇場なはーとで開催された。関係者らは尊敬と親しみを込めて「康忠さん」「康忠先生」と呼び、舞台映像などを上映したほか、康忠が残した芸や作品、うちなーぐち資料といった財産について語り合った。

 康忠は那覇市泊出身。戦前は劇団「珊瑚座」などで修業を積んだ。徴兵され、シベリア抑留を経て1948年に帰国。「ときわ座」を結成し、戦後を代表する役者の1人として活躍した。組踊にも取り組み、86年に重要無形文化財「組踊」保持者に認定された。

 第1部は「復員者の土産」「伊江島ハンドー小」「護佐丸と阿麻和利」などを上映した。観客は人情味あふれる演技や風格ある立ち振る舞いを堪能した。

 第2部では役者の平良進、狩俣繁久琉球大名誉教授、組踊などの実演家・神谷武史が登壇し、康忠について語り合った。

上映された映像から「伊江島ハンドー小」の船頭主役を演じる真喜志康忠(左)(1989年、那覇市民会館、大城弘明さん撮影)

 ときわ座に所属していた平良は、康忠が「どうすれば沖縄演劇のレベルを高められるか」に情熱を注いでいたと振り返り、「(近年)上演されていない作品もいっぱいある」と惜しんだ。演技指導の際に「様式的な芝居、リアルな芝居というジャンルをわきまえて」と語っていたことも紹介した。

 狩俣は、康忠が60~70代の時に10年間、琉球大でうちなーぐちの講義をしていたことを紹介した。康忠の手書き脚本を学生がワープロで打ち込み、疑問点は質問するという形式だった。「康忠さんはたわいのない質問にも丁寧に答え、演出の説明もしていた。人気の授業だった」と振り返り、講義記録を「みんなに活用してほしい」と話した。康忠作品については「新国劇(本土の劇団)やシェークスピアも勉強するが、あんまーたちが納得するように沖縄芝居らしさを忘れなかった」と評した。

 神谷は康忠のおはこだった役を4回演じた。「一番難しいのは、しゃべらない時の間。腹芸だ」と解説した。組踊立方としての康忠については「唱えがお客さんに伝わりやすい」と語り、康忠風「波平大主道行口説」の唱えを実演してみせた。

 (敬称略)
 (伊佐尚記)