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「ほぼ残っていない」とされた豊見城グスクの「城壁」を発見 市名の由来、歴史解明に期待


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豊見城グスクの発掘調査で発見された城壁の一部。一の郭に入る「豊見瀬御嶽石門」近くの壁の一部とみられる(豊見城市教育委員会文化課提供)

 【豊見城】豊見城市教育委員会は25日、同市の豊見城グスクの発掘調査で、数カ所から城壁の一部が発見されたと発表した。同グスクは戦中戦後に採石場として使用され、城壁はほぼ残っていないと思われてきた。市教育委員会文化課の宮城良真さんは「石積みが地中に残っていたという発見は大きい。県内でも大規模なグスクで、他のグスクと比較することでいろいろ分かるだろう」と話した。

 発掘場所は同市内の沖縄空手会館の近く。市教委は2012年から発掘調査を行ってきた。今回発見された一つは、一の郭(かく)に入る門「豊見瀬御嶽(とみせうたき)石門」近くの壁の一部。幅2メートル、長さ3メートルほどで一部が階段状だった。深さ1メートルほどの地中から発掘された。この他に外郭南側「南風原門」近くの城壁の一部も見つかった。一連の調査で計4カ所から発見された。

 豊見城グスクは、汪応祖(わんおうそ)により14世紀後半に築かれたとされる。戦中の航空写真や地元住民の証言などから、最大で南北300メートル、東西200メートルほどの大きな城だったとみられる。宮城さんは「豊見城市の名前の由来になった、市の歴史文化を考える上で欠かせない場所。グスクについて分かることで歴史などの解明につながればいい」と期待した。

(岩崎みどり)