<未来に伝える沖縄戦>帰郷途中、左足に銃撃 城間好さん(90)〈下〉


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米軍の銃撃で足をけがした体験を語る城間好さん=10月23日、今帰仁村仲尾次

 《1945年4月、沖縄本島に上陸した米軍が北部に迫ってくると、八重岳で炊事作業をしていた城間好さんたちに避難命令が出ました。山の中を逃げていた城間さんたちは、本部では普通の生活に戻っているといううわさを聞いて家に帰る決断をしました》

 4月20日ごろまで逃げ回って、私たちは源河の山の中で隠れていました。その時期に、本部の辺りではみんな家に帰っていて、普通に農業をしているという話を耳にしました。兵隊だったらアメリカ兵に撃たれるけど、一般の人だったら手を上げたら許されると言われました。私たちも家に帰ろうと思い、本部に向けて出発しました。
 真っ暗闇の中を本部に向けて歩いていたときのことです。そこが源河だったのか、羽地だったのか、はっきりしませんが、私たちは田んぼの中を進んでいました。突然、パンパンパンって銃声が聞こえました。何人か一緒でしたが、即死した人もいました。おしりの辺りから弾が貫通して、8カ月ぐらいして亡くなった人もいたそうです。
 私は足が重いなと感じながら、山の中へ逃げました。山小屋まで避難すると歩けなくなって、よく見ると左足を撃たれていました。当時は大雨が降っていて、とても寒くて震えて、このまま死ぬんだと思いました。消毒することもできなくて破傷風にもかかりました。すごく苦しくて、亡くなった人がうらやましいと思うこともありました。

※続きは11月29日付紙面をご覧ください。