イブに贈る思いやり あすROKミュージックソン 視覚障がい者支え30回


この記事を書いた人 志良堂 仁
「目の不自由な方に音の出る信号機を贈ろう」の合言葉で始まった「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」の第1回放送。中央はパーソナリティーの森田弘美さん=1986年12月24日(ラジオ沖縄提供)

 ラジオ沖縄(ROK、那覇市)が視覚障がい者のために信号機に音の鳴る装置を贈る取り組みを開始し、ことしで30回目を迎える。同社は1986年のクリスマス・イブ(12月24日)から装置の購入に充てる募金を呼び掛ける「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」を開始した。那覇市のパレットくもじ前に設置した放送本部前でボランティアが募金活動を手伝うなど、支援の輪が広がっている。

音の出る信号機設置のための募金を呼び掛ける小磯誠アナウンサー(左)と森田明社長=21日、那覇市西のラジオ沖縄

 これまで番組を通して集まった募金で67機の装置を贈ってきた同社の森田明社長(59)は、24日の放送を前に「障がい者に対する思いやりや理解の心を社会全体で育んでいきたい」と力を込めた。
 同社は「目の不自由な方に音の出る信号機を贈ろう」を合言葉にニッポン放送をキーステーションとして、全国のラジオ局と共同で毎年12月24日正午から24時間のチャリティー番組を放送してきた。装置は1機100万円ほどで、ラジオ沖縄は「今後も番組を通じて年に2機ほど設置できたら」(森田社長)としている。
 同社は年に1回のミュージックソンだけでなく、目の不自由な人の社会活動などを紹介する福祉番組「思いやり交差点」を通じ、視覚障がい者を支援してきた。番組を企画し、ミュージックソンでも第1回から長年にわたってパーソナリティーを務めてきた森田弘美さん(58)の元をはり・きゅう・マッサージ師の男性が訪れたこともあった。男性は「突然視力を失い人生は終わりだと思っていたが、ラジオ番組ではり・きゅう・マッサージの資格が取れることを知った。放送がなかったらずっと家にこもっていたかもしれない」と礼を述べたという。
 ラジオ沖縄で現在、ミュージックソンのパーソナリティーを務める小磯誠報道部長(53)は「番組をきっかけに視覚障がい者の子どもたち自身が進んで募金活動を行うようになった。健常者と障がい者の相互理解がさらに進むことに期待したい」と話した。