社会

御茶屋御殿復元へ調査 戦災で焼失、那覇市が計画

首里カトリック教会・幼稚園の敷地内に残る「御茶屋御殿」遺構=2015年12月29日、那覇市首里崎山町

 那覇市は2016年度、琉球王府の迎賓館ともいわれ、沖縄戦で焼失した那覇市首里崎山町の御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)の復元を目指し、国の文化財指定に向けた調査を行う計画を進めている。調査は現存する石垣などの現況測量と図面の作製を行う方針。市は文化庁の補助金を活用した事業費案を市議会2月定例会に提案する予定。市文化財課によると市の同御殿調査は初めてで、実現すれば御茶屋御殿復元への大きな前進となる。


 これまでに復元保護が実現した首里城、守礼門などは、観光地にもなり多くの観光客を集めていることから、御茶屋御殿の復元に期待が集まっている。
 御茶屋御殿は1677年、中国からの冊封使を迎えるために造られた。首里城の東にあったことから「東苑」とも呼ばれ、冊封使や薩摩の在番奉行を接待する外交の場として用いられた。
 また、宮廷文化を担う人々が芸能の技量を発表する場でもあり、琉歌や歌三線、組踊、武芸など琉球文化の発展に寄与した。
 1930年にはわずかに残っていた茶亭などが首里城正殿とともに整備され、旧国宝指定の候補にもなったが沖縄戦で焼失した。戦後、跡地はカトリック沖縄教区が購入し、首里カトリック教会と幼稚園を建設。敷地内には石垣などの遺構が現存している。
 2000年以降の県埋蔵文化財センターによる発掘調査で遺構の一部が確認されたほか、写真や図面など資料も発見。市議会も06年、国に対し同御殿の早期復元・整備を要請する意見書を可決している。市は国の予算で復元を進めたい意向だ。
 そのため、国の文化財指定に向け調査をする。市文化財課の担当者によると、来年度からの調査内容などを踏まえて文化庁と調整し、方向性を決定するという。
 1997年から復元に向けて活動を展開している「御茶屋御殿復元期成会」会員で、市議会12月定例会で同御殿について質問した野原嘉孝議員は「復元に向けてようやく動きだした」と評価。課題となる教会と幼稚園の移転については「移転先選定などしっかり対応する必要がある」と述べた。(久場安志)



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