社会

宮森小墜落機、前年に重大事故168件 きょう事故から57年

 1959年6月30日に石川市(現・うるま市)の宮森小学校に激突し、死者18人を出した米軍戦闘機F100で、事故の前年の58年に機体が大破したり死者が出たりするなどの「クラスA」の重大事故が168件発生していたことが29日までに分かった。59年は宮森小墜落事故を含めクラスAの事故は128件だった。重大事故が多発していたにもかかわらず、米軍が嘉手納基地に配備し続けた結果、児童らが犠牲になったことになる。米軍は宮森小の事故後もF100を継続運用。2年後の61年には具志川村川崎(現・うるま市川崎)に墜落し、死者2人、重軽傷者は少なくとも6人を出し、家屋3軒が全焼した。

 米空軍は墜落事故を起こしたF100戦闘機の運用を54年9月に開始。57年に嘉手納基地に配備した。開発段階を含め、F100戦闘機が飛行していた53~90年の間、同機種が大破した事故は合計889件、パイロットの死者は324人に上る。米空軍資料によると、墜落したF100戦闘機のクラスAの事故発生率は10万飛行時間当たり平均21・22件で、現在運用されている戦闘機F16の3・56、F15の2・36を大幅に上回っている。米本国などで事故が相次いでいる米空軍の垂直離着陸機CV22の事故率7・21件も約3倍上回る水準だった。

 米軍は高い事故率にもかかわらず、F100を79年まで本格運用。キューバ危機で米ソの緊張感が高まっていた62年には、沖縄に大量の核兵器が配備され、F100戦闘機に水爆が積載されていた。「米国立公文書館」に所蔵されていた写真には、F100戦闘機に水爆などが積載される様子が写っている。

 1959年6月30日に起こった宮森小学校米軍機墜落事故から57年を迎える30日、同校で午前8時20分から追悼集会、同10時から遺族会などによる慰霊祭が開かれる。事故で犠牲となった児童や市民に哀悼の意をささげるとともに、世界の恒久平和を願う。

<用語>宮森小学校米軍機墜落事故
 米軍嘉手納基地所属のF100D戦闘機が、飛行訓練中に爆発、炎上し、パイロットは無事脱出したが、石川市(現・うるま市)の市街地に墜落。機体は宮森小学校の校舎に激突し、死者18人、負傷者210人に上る大惨事となった。




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