「来年には関取に」 木崎、十両へ真っ向勝負貫く


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「来年の大相撲沖縄巡業までに関取になる」と意気込む木崎=11日、具志川ドーム

 大相撲名古屋場所(7月)の序二段優勝、秋場所(9月)の三段目優勝の躍進で、県勢力士の出世頭の1人として期待が掛かる幕下の木崎(木崎信志、うるま市出身)が、大相撲沖縄巡業に参加するため11日、沖縄に戻った。木崎は「来年の沖縄巡業までには関取になる。沖縄の相撲も活気づけたい」と、十両昇進に向けて抱負を語った。

 美里小の頃から、叔父の木崎智久氏が監督を務めていた中部農林高校に通い、相撲を学んだ。高校生らとしこやてっぽう、腕立てに汗を流す日々。「相撲の基礎を沖縄で身につけた」。

 中学時代は目立った活躍は無かったが、「自らを厳しい場所に置くため」に、名門・鳥取城北高校へ進学した。親元を離れ、自分で家事をしながら相撲に打ち込む仲間たちの姿に「技術だけでなく、相撲と向き合う姿勢に触発された」という。同校は団体戦で複数の国内大会を制する輝かしい実績を残した。そのチームの一員として、2010年の美ら島総体で決勝に進出し、先輩らがいる中部農林を打ち破った。

 日大でも着実に成績を残したが、卒業後は就職の道を選ぼうとしていた。そんな時、知人を介して木瀬部屋の親方に「プロで通用する選手に育てたい」と、誘われた。「死ぬほど悩んだ」結果、「チームではなく自分のために相撲をしよう」と、今年初めに木瀬部屋入りを決めた。

 1年目から活躍を見せるが、思い返すのは優勝の喜びではなく、「勝てると高をくくった」夏場所(5月)の1敗と、「相手の相撲に合わせすぎた」九州場所(11月)の3敗だ。

 学んだのは、得手不得手や状況に関わらず、自分の強みを生かした取組を貫くこと。決まり手の多くが押し出しの木崎は「自分は不器用だからトリッキーなことはできない」と、真っ向勝負に挑み続ける。

 幕内入りを目指すため「体の大きさだけでは勝てない。力とスピードを磨いていく」と、強い覚悟を見せる。

 沖縄からプロを目指す後輩が育つことも期待している。「たくさん負けて、いっぱい泣いた分だけ強くなる。負けても諦めず、すぐに立ち上がる精神面のしつこさを身につけてほしい」と、努力を惜しまない後輩らにエールを送った。