対馬丸遺族、雨中の祈り 奄美・宇検地元住民と記憶つなぐ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
花や果物、お菓子などを供え、対馬丸犠牲者のみ霊を慰める、慰霊碑竣工式参加者たち=18日午後、奄美大島大和村今里

 【奄美大島宇検村で岩崎みどり】1944年8月に米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈し、疎開学童約780人を含む1480人余りが犠牲となった「対馬丸」の慰霊碑竣工式が19日に奄美大島宇検村で催される。18日午後、対馬丸の生存者や遺族ら20人余りが現地に到着した。一行は途中、犠牲者が流れ着いた大和村今里に立ち寄り、遺体が埋葬された場所に向け、花や食べ物、線香を供えた。大雨が降る中で、静かに手を合わせた。

 大和村の海岸には、宇検村と同様に多くの犠牲者が流れ着き、各地で埋葬されたという。

 このうち、今里の海岸には5体が漂着したが、戦後に遺族会により収骨されたという。

 一行はその後、今里集落の公民館で、当時を知る高齢者と交流した。同集落に住む蘇畑ナツコさん(81)は「父が消防団で埋葬作業をしたらしいが、いっさい話してくれなかった。でも、お墓があったので花をあげていた。『いつか沖縄の人が迎えに来るよ』と言われていた」と振り返った。あいにくの雨を「迎えに来てくれたことを喜ぶ涙だろう」と話した。

 対馬丸記念会理事長の高良政勝さん(76)は「70年以上前、犠牲者を葬り、生存者を助けてくれた。そして、心を込めてお参りをしてくれていた。感謝したい」と話し、全員で感謝を込めて拍手を送った。