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<メディア時評・著作権法改正の問題点>枠組み変える危険性 経済優先の表現規制


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 森友学園問題からスピンアウトして、戦後すぐの国会で破棄を定めた教育勅語を教育現場で使用することを政府として正式に認めたり、道徳教科書の記述では、いわば「忖度の強要」が明らかになったりで、倫理観ゼロが露呈した文科省の天下り問題は完全に消え去ってしまった。あるいは、首相夫人付き職員の公務中に作成した文書を私文書であると認定したり、官僚が受発信したメールを情報セキュリティーの観点といった理由で、官庁が自動消去していることが明らかになったりと、公文書管理・情報公開制度の根幹を揺るがす事態が続出している。

 それにもかかわらず、国会審議は粛々進むという不思議な状況で、いよいよ来週にも、共謀罪は実質審議入りし、連休前に衆議院通過、5月には成立という政治日程がまことしやかに伝わってきた。こうした政府の決めたことなら何でもありの状況の中で、さらにもう一つ、「アベノミクス」政策の一環として、表現の自由に大きな影響を与える法案が準備されている。

自由にビジネス利用

 3月末まで著作権法改正の前段として、「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめに関する意見募集」が実施されていた。ここでいう〈まとめ〉とは、「新たな時代のニーズに的確に対応した権利制限のあり方等に関する報告書」と呼ばれているもので、今回のパブリックコメントを経て今国会への法案提出が予定されている。そこでは従来の著作権法原則を180度変更する内容が含まれており、その是非とともに、実際の運用においても著作権者の権利が大幅に制限される可能性がある。これは、継続して創造的な作品を生み出す環境を壊すことに繋(つな)がりかねず、ひいては表現の自由にも影響を与えるものだ。

 報告書では、(1)新たな時代のニーズに的確に対応した権利制限規定の在り方等(2)教育の情報化の推進等(3)障害者の情報アクセス機会の充実(4)著作物等のアーカイブの利活用促進等、について検討を行ってきたとする。そこに通底するのは、「文化の発展」のためには「著作物の利用円滑化」が求められており、「柔軟性のある権利制限規定」の整備を行う必要があるということだ。そして実際には、著作権者の許諾なしに書籍を全文電子データ化することを認めることとしている。いわば、だれでも勝手に書籍を無断スキャンして、さらにそれをテキスト化するなど適宜自由に加工して、それを保有してよいということだ。さらには、こうして保有したデータをビジネス利用するのも自由で、著作権者の了解なく、一定のルールを守れば公開使用することも認めることとした。

 予定しているのはスニペット表示と呼ばれるような、検索によってヒットした書籍の一部を見せるサービスと説明されている。しかし先日の村上春樹新作を、ユーザーが分割してネットにアップするといった事実上の違法行為を、今度は合法化するともいえるものだ。あるいは、わずか5年ほど前のグーグル書籍検索訴訟を通じて、書籍の無許諾全量スキャニングは出版流通の多様性を維持するうえで問題がある、とした出版界の大枠の合意を、いとも簡単に乗り越えるもので、しかも報告書を読んだ限り、この種の議論をした形跡はみられない。

日本版フェアユース

 最大のテーマは、「日本版フェアユース」の導入の可否である。日本の著作権法は元来、フランスやドイツ型と言え、著作権の中核に著作者人格権を据え、それとは別に著作財産権を設定して、複製利用を認めてきた。その際は権利者の許諾が絶対で、その例外として私的利用や教育目的など、具体的に事項を列挙して著作権者の権利を制限していることになる。

 これに対してアメリカは、まったく異なる著作権法体系だ。そもそも最近まで、著作者人格権という考え方そのものが存在しなかった。最初から著作権=複製権はビジネスの一つとして利用するためのもので、そのルールが「フェアユース」と呼ばれる公共利用(公正利用)だ。すなわち、みんなのために作品を利用する場合は、作者の意向とは関係なく勝手に利用してもよい、と決められている。当然その結果、著作権者の財産を侵害する場合があるわけで、その線引きは作家や出版社などが裁判所に訴え、司法の場で決めることになっている。

 今回の改正は、このアメリカ型の導入にほかならず、それは限定列挙から包括的な制限規定の変更という許諾方式の大改訂であるとともに、基本的な著作権法の「思想」を全く違うものに変える。そしてこれは、著作権を人格権として守ってきたものから、財産権としてビジネスユースの道具に変質させるものであって、出版界ひいては表現行為のこれまで積み上げてきた慣習や産業実態を変えることに繋がるだろう。

 報告書では、著作権を3層に分ける(表)。前者のスニペット表示の解禁が第2層で、ここが焦点と言われているが、ほかにも問題はある。第3層で、東京オリンピックを前に翻訳サービスの拡充のためには法改正が必要と謳っている。しかしこの分野は、現在でも例外的な場合として、限定列挙により作品の無許諾利用を認めてきた範疇(はんちゅう)で、同じように目的や利用範囲を限定して制限する枠を広げればよいだけのことで、枠組みを変える必然性はなかろう。ここにも、経済界の意向ありきが見え隠れする。

 冒頭に掲げたように、最近の文科省行政には目を被(おお)わざるをえないものが多いが、それに加え、3月で国からの支援が終了したことで電子図書館事業が終了し多くの論文がネット上で閲覧できない状況になっている。これも含めて一事が万事、政府都合の経済振興や経済界の意向で、困るのは、まさに出版・教育等の現場である。アベノミクス政策の一環として著作権改正を行うと大見得を切る時代が来たことこそ、文化庁が大切にする「文化の発展」に反することではなかろうか。
(山田健太 専修大学教授・言論法)