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<メディア時評・「報道の自由」二つの調査>言論危機、急速に拡大 対抗しない日本メディア

 5月3日は憲法記念日で、30年前に朝日新聞阪神支局襲撃事件があった日であるが、国際的には「世界報道の自由の日(World Press Freedom Day)」だ。国連がメッセージを発表するほか、世界中の人権・表現団体が言論の自由の大切さを確認し、ジャーナリズム活動への敬意を表明する1日である。今年の特徴は、「フェイクニュースvs自由な言論」をテーマにしたメッセージが多かったことだ。これに合わせるように、二つの団体が報道の自由に関する指標を発表するのも習わしである。

過去最低維持

 一つが米国に本部を置くフリーダムハウス(Freedom House)の「報道の自由」、もう一つが仏国に本部を置く国境なき記者団(Reporters Sans Frontieres [RSF])の「報道の自由度ランキング(Worldwide press freedom index)」だ。日本では、後者のランキングがここ5年で急降下し、昨年、過去最低の72位に順位付けられたことが大きなニュースとなった。ちなみに今年も同順位を維持する結果となっている。これに対しメディア研究者やジャーナリストの中にも順位が低すぎると懐疑的な見方がある。確かに、肌感覚として厳しすぎるとか、質的評価(評価者の主観)が強く出過ぎているきらいはあるが、日本には記者への暴力もなければ、メディアを直接規制する法律もなく、評価は的外れとの批判には与(くみ)しない。

 むしろ、「日本への警告」として真摯(しんし)に受け止める姿勢が求められているからだ。質的評価が客観データ以上に世の中の空気感を一足早く反映している面もある。絶対値に一喜一憂するというより、経年変化で10年以降一気に順位を落としている点、「問題あり」と5段階中3段階に位置づけられた日本と同レベルがどのような国であるのか、といったことをきちんと理解しておく必要がある。順位表で同レベルはポーランドやハンガリーといった、日常的に日本のメディアが言論弾圧の国として厳しく批判する対象国なのである。

米国も

 また、フリーダムハウス版でもここ15年で10ポイントも低下しており、まだ「自由な国」にランクインしているものの、相当に危惧される状況である。実際、今年のレポートの目玉は米国のランクダウンで、そこでの指摘は10年間で10ポイント下げている点だ。日本の方がやや期間が長いが、逆に言えば長期にわたって低下し続けている点、もともと米国よりポイントが低いことからすると、むしろ日本の深刻さの度合いが理解できるだろう。

 ほかにも、国際社会の中で日本の状況が危機的な局面に足を踏み入れている、と評価されていることの一つとして、16年4月に国連から表現の自由特別調査官が日本に来たことも挙げられる。あるいは16年末に、米国で『Press Freedom in Contemporary Japan(現代日本の報道の自由)』(Routledge)が出版され、その序文で、いま世界のなかで日本の表現の自由がきわめて大きな危機に瀕(ひん)していると断言されるに至っている。そういう状況なのを私たちは自覚して対応しなければいけない。

排除

 政府が異論を認めないという点でも、日米両国は似た者同士だ。米国では、特定の記者を排除するために記者会見を懇談にするということが行われた。記者会見は、政府の説明責任義務を果たす場所であって、市民の知る権利を代行するジャーナリストを好き嫌いで排除するわけにいかない、と考えられているからだ。ところが日本では、少なくとも建前上では報道機関(記者クラブ)と当局が共同で主催している地方自治体首長会見の場から、特定の記者を追い出すことが、すでにそこここで行なわれている。そういう場合に米国では、排除に抗議して他の報道機関の記者が会見出席を拒否するなどの連帯が起きているが、日本ではそうはならないのが現状だ。

 さらには、トランプ大統領はメディアの報道を「フェイクニュース」と言っているが、同じことが日本ではすでに以前から起こっている。14年には国会で首相が朝日新聞の記事を取り上げて「捏造(ねつぞう)です」と断言した。自民党会合では、沖縄紙が「潰(つぶ)れたほうがいい」と平然と語られている。そしてこれら公権力の態度に、どう抗(あらが)うかがメディアの力量だ。

 たとえば経済誌「フォーブス」17年2月の特集が、「真実を知ることができる10のジャーナリズム・ブランド」だった。1位が「ニューヨーク・タイムス」、2位が「ウォールストリート・ジャーナル」、3位が「ワシントン・ポスト」、そのあと、BBCなどが続く。そこでは、「いまの政権が『フェイクニュース』とか『オルタナティブファクト』と言うのは間違っている」ということを自分たち自身で検証している。

 一方の日本ではそういうことは行われない。メディア自身が対抗的に、信頼できる情報というのはどこなのか、朝日は本当に捏造新聞なのか、沖縄紙は本当に偏向新聞で読むに足りない新聞なのか、真実を客観的に判断していくことをしなければいけないと思う。いま日本で選挙期間中に、いちばんフォロワー数の多いフェイスブックは安倍晋三首相で、昭恵夫人も10位以内だ。彼らの発信情報が一番読まれている「ニュース」という状況がある。そういうなかで、ジャーナリズムのポジションが揺らぎ、民主主義社会の中でその必要性が期待されていないのが現状だろう。

 表現の自由は安泰で、昔の方が露骨な権力介入は多かったし、自主規制はいまも昔もあるものだ、と安穏としている状況ではなかろう。このようにメディア自身にほとんど危機感がないがために、共謀罪でも少なからずのジャーナリストが賛成する事態となっているのではないか。いかに自らの状況を客観視し、そのなかから信頼されるジャーナリズムを再構築しうるかの正念場だ。
(専修大学教授・言論法)