アイヌ遺骨追い続け 北海道大返還訴訟原告 小川さん、琉球人遺骨問題にエール


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 人類学者が戦前から戦後にかけて研究目的で墓を暴くなどして持ち出し、北海道大学などに保管されているアイヌ民族の遺骨の返還を求めた訴訟で原告として闘った小川隆吉さん(81)=札幌市=が、和解成立後も資料の掘り起こしに奔走している。和解を受けてアイヌ遺骨のコタン(集落)への返還が認められつつあるが、実態が解明されていない史実も数多く埋もれているからだという。同様に人類学者が戦前、沖縄から持ち出した琉球人の遺骨の問題についても「(返還に結び付けるには)信念で行動し続けるしかない」と沖縄にエールを送っている。

日本平和学会で報告する小川隆吉さん=1日、札幌市の北海道大学

 和解を受け、北海道大は掘り出されたコタン(集落)がはっきりしている遺骨については返還する方針。昨年7月に浦河町杵臼(きねうす)の墓地で小川さんのおじの遺骨を含む12体が“再埋葬”された。今年8月以降にも複数の地域への返還が予定される。遺骨が掘り出された地域や経緯が特定され、受け皿が整えば今後も返還が進むとみられる。

 小川さんは1日に北海道大(札幌市)で開かれた日本平和学会の春季研究大会で、北海道大が保管する江別市対雁(ついしかり)の遺骨24体について、北海道開発のために政府により強制移住させられた樺太アイヌの遺骨とみられると報告。図書館などに通い、1965年の「北海タイムス」で児玉作左衛門北海道大名誉教授(当時)らが掘り出したことが記事になっているのを確認した。

 しかし対雁では300人以上の樺太アイヌが亡くなったという記録がある。小川さんは遺骨が掘り出された埋葬地に隣接して北海道電力の建物があることを挙げて「掘り出された24体以外は、敷地内に今も埋められたままになっているはずだ」と訴えている。

 樺太アイヌは1875年に日露両政府によって交わされた樺太千島交換条約に伴い、開拓使庁(明治政府)の指示で841人が北海道の宗谷に移住する。そこからさらに対雁に強制移住させられたが、対雁では和人(アイヌ以外の日本人)が持ち込んだコレラや天然痘が流行し、300人余が命を落としたとされる。

 支配者による強制移住は先住民族から先祖伝来の土地を奪い、生存権を脅かす。国連の先住民族権利宣言(2007年採択)でも禁止されている。国内では政府がアイヌに対して行ったことが明らかになっているほか、沖縄戦終結直後には沖縄各地で米軍が住民を強制的に移住させ、集落をつぶして基地を建設した。

 小川さんは今後も複数地域で遺骨返還が予定されていることに「本当にうれしい」と語りつつも、さらなる返還と埋もれた史実の解明に向けて「まだまだ頑張る」と力こぶを作った。(宮城隆尋)