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<メディア時評・未編集の取材情報>証拠提出は拒否を 弱者救済には柔軟対応


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 鹿児島市で13年、警察官に取り押さえられて死亡した男性の遺族が、県に損害賠償を求めた民事訴訟を巡って、取材・報道の自由が議論されることになった。

 1つは、男性を取り押さえる様子を放送局が撮影していて、その映像が鹿児島県警によって差し押さえられ、鹿児島地検で保管されていた件だ。これを証拠採用するか否かで、地裁は映像提出を鹿児島地検に命じたが、福岡高裁宮崎支部が取り消し、遺族側が特別抗告したが、最高裁はこれを棄却した。

 もう1つは、遺族が検察庁で映像を見せられた際、ひそかに録音した音声があり、地検は違法収集証拠だと主張したが、地裁は録音データと反訳書を証拠採用したというものだ。なお、刑事裁判ではいずれも証拠提出されていなかった。

守るべき一線

 テレビフィルム(放送用映像テープ)の捜査・裁判での利用は、明らかな「報道目的外利用」であって、本来、許されるものではない。報道を前提として行っている取材行為が、取材対象者の許可なく報道以外(例えば裁判の証拠利用)で使用されることは、報道機関の取材内容が公権力に利用される可能性が常にあることを意味するからだ。これは社会的に是認されているジャーナリズム活動の信頼性を揺るがし、結果として取材の自由を狭め、知る権利を空洞化させる危険性がある。

 ましてや放送済みではなく、それ以前の未編集の取材テープ(映像素材)は「自己取材情報(ワークプロダクツ)」である。これらの公権力による差し押さえ押収や証拠提出は、記者の取材メモの提出と同じ意味を持ち、取材源の開示にもつながる恐れがあることから、報道倫理上、最も高位の「守るべき一線」といえる。

 しかし残念ながら近年、一貫して警察・検察・裁判所の各レベルにおいて、テレビフィルムの「利用」が認められ、かつ拡大してきている実態がある。それには2つの側面があり、法廷証拠だけではなく、警察・検察段階での捜査資料としての差し押さえ押収への拡大と、放送済みテープだけではなく未編集テープへの拡大、という流れである。放送局は一貫して反対をしてきているものの、その抵抗力は弱まり「やむなし」の空気が感じられる状況にある(拙著「放送法と権力」参照)。

デジタル時代

 一方で、テレビ番組のデジタル化・全録(ハードディスクへの全部録画)の普及という時代状況のなかで、「テレビフィルムの提出」という意味合いが大きく変化している。取材側でいえば、高価なフィルムの時代から、デジタル時代を迎え、取材映像も未放送・未編集も含めて物理的な大量保存が可能だ。さらに放送された映像は、公権力も含めだれもが安価で容易に、しかも半永久的に保存することが可能な状況にある。また、放送局が社会で唯一その場を撮影した映像を保有している時代とは全く状況が異なり、スマホで誰もが動画を簡単に撮影・保存できる時代を迎えている。

 そうなると放送局も、少なくとも放送済みテープについては変化している状況を認識し、今後の対応を考える必要があるだろう。

 それからすると、絶対譲れない一線をどうするか、それを市民社会にきちんと説明できるかを、放送界全体で考える必要がある。例えば、放送済みの番組録画映像について、裁判で証拠提出されることに対しては、許容するという判断もあり得よう。

 一方で、より広範かつ大量に保存される可能性が増大しているワークプロダクツについては、法廷での証言拒否同様の毅然(きぜん)とした対応をとるべきであろう。具体的には、あくまでも提出を拒否し、そのための刑事罰を辞さないという態度である。現在は、すべてに反対をしているがために一線が見えづらくなり、結果として取材の自由が狭まる結果を招いていると思われるからだ。しかも、その一線は現実としても守られていない。

 また、今回の事例のように、放送局本体ではなく業務委託先の制作会社が当事者になることも一般的であろう。その場合にも、放送局と委託先間での意思疎通をしっかりして、オール放送としての違わぬ対応をとることが求められるし、制作会社にも放送局同様の覚悟が求められるということになる。放送にかかわる者すべてが、同じレベルでワークプロダクツを守る意思を示してこそ、初めて取材の自由は守られる。

公権力の謙抑性

 地裁は16年12月に、「高い証拠価値があり、報道の自由やテレビ局の利益を優越する」として取材映像の提出を認めた。これに対し高裁は17年3月、「映像を提出した場合、報道の自由や当事者以外のプライバシーが侵害される恐れが高い」として地裁決定を取り消していた。最高裁が7月25日の決定で、映像提出を認めなかったのは、「報道機関の不利益が必要限度を超えないよう配慮されなければならない」とした69年のフィルム提出開始段階に立ち返る意味を持つといえるだろう。その点では、「公権力の謙抑性」を求めたものと好意的に理解したい。

 一方で今回の場合のような、当事者から「見せてほしい」といった要望や相談があれば柔軟に対応するというのも、放送局側の1つの姿勢ではなかろうか。冒頭に挙げた録音テープについても、建前はあくまで目的外利用は認められないというものである。一方で、被害者救済などの理由で、裁判所での証言を行ってきたケースもあり、実際の運用でぎりぎりの選択をすることはあり得ると思われるからだ。地裁は6月28日に証拠採用を認めたわけであるが、事前に放送局の間でどのような「調整」があったのか伺い知れない。ただし、取材源やワークプロダクツの開示にならない範囲で、報道機関は弱い者の側に立つのもまた、大切な報道倫理に違いない。
(山田健太、専修大学教授・言論法)