1944年8月に米潜水艦の魚雷攻撃で撃沈された疎開船「対馬丸」の慰霊祭が26日午前、鹿児島県奄美大島・宇検村の対馬丸慰霊碑の前で初めて執り行われた。宇検村には対馬丸のわずかな生存者がたどり着き、多くの犠牲者が住民らによって一時的に埋葬された。慰霊祭には村の関係者や小中学校の児童生徒ら約30人が参列し、73年前に海へと散った犠牲者の冥福を祈った。
慰霊碑は今年3月に同村船越海岸に建立された。元田信有村長は「多くの尊い命が犠牲となってから73年の歳月が流れ去った。戦後を知らない世代が多くを占める中、対馬丸の事件を忘れることがないよう、沖縄と奄美のさらなる交流を深め、力を合わせて取り組みたい」と継承への決意を述べた。
対馬丸記念会の高良政勝理事長は「当時、生存者の救助に奔走し、劣悪な環境で埋葬に当たった村民の皆さまに深く感謝したい。愚かな戦争を繰り返さぬよう、事件を後世に伝えたいとの言葉に、心よりお礼申し上げる」と感謝の気持ちを伝えた。
供花の後、参列者は対馬丸が撃沈された悪石島の方角へ向き、黙とうした。
当時、救助に当たった大島安徳さん(90)は「当時が思い出されて、本当に涙が流れる思いです。事件を絶対に風化させないよう、子どもたちに事件を平和教育の一環として語り、継いでいきたい」と涙をこらえながら話した。【琉球新報電子版】