〝肉の海〟今も脳裏に 対馬丸の惨劇「風化させない」 奄美・初慰霊祭


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 【奄美大島で中村万里子】穏やかなコバルトブルーの海が広がる鹿児島県奄美大島・宇検村の船越(ふのし)海岸。しかし、73年前は違った。海岸線には、米潜水艦の魚雷攻撃で撃沈された「対馬丸」の数少ない生存者と多くの遺体が漂着していた。戦争を象徴する凄惨(せいさん)な光景が広がっていた。「対馬丸を絶対に風化させない」。26日、宇検村で行われた初めての慰霊祭に参列した一人一人は、対馬丸の悲劇を語り継ぐという思いを強めた。

「対馬丸」の慰霊祭で黙とうする参列者ら=26日午前、鹿児島県奄美大島宇検村船越

 当時、生存者の救出や遺体の埋葬に尽力した大島安徳さん(90)=宇検村宇検=は当時の光景を“肉の海”と表現する。「目が飛び出したり、体はちぎれてうじ虫がわいたり、一人としてまともな体はなかった」。あのときの光景が忘れたくとも脳裏から離れることはない。しかし事件から70年を機に本格的に語り始めた。語り継ぐ必要性を訴え、対馬丸慰霊碑の建立を村に働き掛けてきた。

 慰霊祭に参列した大島さんは「当時が思い出されて、本当に涙が流れる思いだ。対馬丸事件を絶対に風化させないよう、将来に向けてこの場所で児童生徒たちに平和教育の一環として語り継いでいきたい」と涙をこらえながら語った。

 慰霊祭には、地元の小中学校の児童や生徒も参列し、当時の様子を生々しく語る追悼の言葉にじっと聞き入っていた。

 久志小学校6年の野上田美紀さん(11)は「学校の先生や親から聞いて対馬丸のことは知った。戦争はたくさんの命がなくなってしまうから起こしたら駄目だと思った」と話した。久志中学校2年の野上田一兵さん(13)は「今は対馬丸が身近にある。絶対に忘れてはいけないと思う。多くの人に来てもらい、知ってもらいたい」と関係者の思いを感じ取った様子だった。

 宇検村の元田信有村長は慰霊祭後、「地元の歴史として語り継ぐことの意義を再確認した。今後も村が関わり、平和教育に取り組みたい」と語り、継承に力を入れていくことを誓った。