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<メディア時評・番組送り手の在り方>局も制作会社も責務 ネットと並列、新たな難題


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 9月中に、沖縄ヘイトとして問題視された東京メトロポリンタンテレビジョン「ニュース女子」の、検証番組改め再取材番組が放映予定だ。同時並行で進むBPO審議や審理の結果も、秋には公表されるだろう。ここでは、こうした放送番組の送り手の在り方を、確認しておきたい。

パートナーシップ

 放送の場合、何がよくて何が許されないのかは、放送局ごとによって定められている「番組基準」による。この基準は放送法の規定に基づいて策定・公表が義務付けられているもので、一般に公式ウエブサイトの「会社概要」ページなどに掲載されていることが多い。全国に約200社ある放送局は原則、加盟する日本民間放送連盟が定める規程にのっとって作成されている。

 もちろん、このこと自体は悪いことではなく、長年の経験と検討の結果の業界スタンダードに合わせることは、ある意味では当然のことだ。しかし一方では、自分たちで議論したものでないと、きちんと身についていない、ただの裃(かみしも)になってしまっている危険がある。

 この点でいえば、最も詳細な社内ルールを作成・公表している局の1つが、大阪の準キー局である関西テレビだ。きっかけは、07年放映の「発掘! あるある大事典II」の捏造(ねつぞう)問題にはじまる一連の事件で、社を挙げての放送倫理向上のための取り組みの1つとして生まれた。2007年7月刊行『関西テレビ放送 番組制作ガイドライン』の第1版は、番組制作ガイドライン制定委員会の手によるもので、「倫理・行動憲章」の下での「放送基準」に従い、詳細な番組制作の注意事項が記されたものとなっている(12年に改定版)。

 とりわけ特徴的なのは、制作会社とのパートナーシップに触れている点である。放送局の場合、番組の多くは「自社制作」と言っても実際は、制作会社がその実務を負っている場合が多い。報道番組に比べ、情報系・バラエティー系の番組やドラマ等の制作は、社員プロデューサーが形式的にいるものの、丸ごと制作を別会社に委ねている場合も少なくないのが実情だ。

 実際、放送される番組のエンドロールを見ていれば分かる通り、制作者は、局名とは違う名称の会社であるのが一般的だ。場合によっては、下請けと呼ばれるものだが、むしろ番組制作の専門会社が作った完成作品を購入しているという場合も多い。

報道倫理

 だからこそ局と制作会社の「パートナーシップ」が重要になるわけで、もちろん、下請け=業務委託であろうと、完全パッケージの納品であろうと、テレビで流れる以上、制作者は放送人(ジャーナリスト)としての作法に従っている必要がある。それは放送法をはじめとする法令であり、業界基準としての放送倫理綱領であり、そして個々人の良心であるところの報道倫理であるはずだ。

 さらに、特定の放送局で放映する以上、その局のルールに合わせ、局職員(社員)と一体となって「守るべき一線」をきちんとチェックすることは、番組の送り手としての責務といえる。あくまで番組は、その制作に携わるスタッフおよび全社員・関係者のすべてが、責任を負うことの自覚をもつことが必要ということだ。逆に言えば、放送した局が制作に関与していない「持ち込み番組」であろうとも、局はその内容に責任を負わねばならないし、また、制作会社は局が定めるガイドラインに従った番組でなくてはならないということだ。

二つの事実

 一方で、冒頭に触れた「ニュース女子」番組は、新たな問題も提起している。同番組は、もともとインターネット上の動画配信サイト「DHCテレビ」(17年4月にDHCシアターから名称変更)のオリジナルコンテンツの1つで、それをDHCがスポンサーとなって全18局に提供、オンエアされる構図になっているとされる。

 したがって、問題となった放送回(91回)の少しあとには「検証」番組(101回)として、ヘイト批判に対するいわば反論が動画配信されたが、これは地上波放送局であるMXテレビでは放映されていない。また逆に、近日中に放映されるであろう新たな「再取材」番組は、テレビで放映されても、おおもとの動画配信サイトで流れるとは限らない。

 そうなると、ネット上で拡散している同番組の内容については、もしテレビ番組上で「修正」がなされたとしても、それは極めて限定的なものにならざるを得ないということだ。場合によっては、テレビと動画配信サイトで、「二つの事実」が並列するようなことさえ想定される。

 あるいは「大人の事情」によって、あえて2つの媒体を切り分け、放送局が大手スポンサーに気を遣うということもあるかもしれない。近い将来、テレビ番組のネット配信も開始される予定だが、地上波放送とインターネットの相互乗り入れが進む中で、守るべきルールをどのように適用するのか、難しい課題を背負うことになる。

 それは必ずしも、ネットの動画配信に放送と同じような厳しいルールを適用すればよい、という単純な話ではないからだ。むしろネット上は、より自由な言論が保障されるべきであって、あえていえば、公平でないものも、嘘(うそ)かもしれないものも、当然に混在するのが一般的だ。それを公権力によって取り締まることは社会全体の自由度を狭めてしまうという意味で好ましくない。

 一方で、放送と同様ではないにしても、一定の社会的責任を負う場合もありうるわけで、すでにネット企業の法的社会的役割が「青少年の保護」や「忘れられる権利」として議論されてきている。その意味では今回の「ニュース女子」の件は、放送を超えた動画配信サイトのあり方も問われているということになる。そうなると、放送番組が対象のBPOや局の番組審議会を超えて、もっと大きな枠組みでの議論が必要となろう。
(山田健太 専修大学教授・言論法)