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<メディア時評・国民投票法>憲法違反の可能性も 国会が情報コントロール


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 憲法改正に関わる手続きを定める法律は主として2つある。国会発議までの手順を定める国会法と、その後の日本国憲法96条に定める改正手続を内容とする憲法改正国民投票法だ。双方を合わせた「日本国憲法の改正手続に関する法律」が、第1次安倍政権において制定されており、2005年から07年にかけて多少は社会的耳目を集めたものの、その後は忘れ去られた存在だ。

 そしていま、憲法改正が現実性を帯びるに従い、あらためてその手続きに関し議論が起き始めている。大きな争点になりうるものとしては、最低得票率の定めを設けるかどうかなどがあるが、ここではもっぱら表現の自由に直接関わる問題について、問題を整理しておきたい。

表現の自由侵害

 国民投票運動とは、「憲法改正案に対し賛成又は反対の投票をし又はしないよう勧誘する行為」と定義されており、国民一人ひとりが萎縮することなく、自由闊達(かったつ)な意見を闘わせることが期待されている。そのことから、原則的に運動は自由であって、規制はあくまでも投票が公正に行われるための必要最小限なものとするとの考えに基づいて定められている。

 これは、憲法改正に関わる議論は最大限の表現の自由が保障されるべきで、議論の場である公共的空間には、国会を含む公権力は介入すべきではない、ということでもある。しかし実際には、国民投票法には致命的な問題がある。それは、(1)広告表現の法規制に何ら遠慮がないこと(2)国会が情報コントロール権を握っていること(3)政党が議論の中心になるようにあらかじめ制度設計されていること―の3つである。

 具体的な表現にかかわる規定としては、投票期日直前14日間は、国民投票広報協議会が行う広告放送を除き、国民投票運動のためのラジオ・テレビの広告を禁止し、一方で政党は、事実上自由にテレビCMを流せるようにし、しかもその経費の一部は国費で賄うこととしている。また、放送局は政治的公平を守った番組を放送することが義務付けられる。

過剰広告規制

 第1の問題点は、投票前広告規制は行き過ぎた法規制であるばかりか、合理的根拠が見いだせないことだ。なぜ広告さらには放送のみを規制の対象としているのか、なぜ2週間のみに期間が定められているのか、といった「なぜ」に対する答えは見つからないし立法時にも説明がなかった。

 資金量の多寡によって運動の優劣がつく可能性があるので、平等性を担保するためというのであれば、政党広告を除外している点や、解釈によっては、直接的な投票運動には入らないからということで意見広告が野放しになる可能性からすると、あまりに「ザル法」だ。ただし、これらをすべて禁止するとなれば、それは現行法制度以上の強力な表現規制であって、より大きな問題を孕(はら)むことになるだろう。

 従ってこの点は、法規制ではなく「自主規制」によって問題克服を図るべきだろう。その規制はもっとも大量の資金を投入することが容易に推測される、各政党が自らの責任で自主ルールを策定・公表すべきだ。そのうえで媒体である新聞や放送は、これらの自主ルールに反した広告を掲載・放映しないことを決めておけばよいと考える。その中身は例えば(1)ネガティブキャンペーンは避けること(2)単なるイメージキャンペーンを避けるため、放送広告は60秒以上、新聞広告は全ページ以上の長尺広告とすること(3)過度な広告合戦を避けるため、総量もしくは出稿量を定めること(同一地域内への平等出稿)―などが考えられる。

検閲

 第2には、国会機関たる「国民投票広報協議会」が広報や広告の取りまとめ役になることについてである。この組織がどのようなものになるか、実はわかっていないのだが、各議院においてその議員の中から選任された同数の委員(各10人)で組織されることが決まっている。

 そして、国民投票公報の原稿の作成、投票所内の投票記載場所等において掲示する憲法改正案の要旨の作成、憲法改正案の広報のための放送および新聞広告、その他憲法改正案の広報に関する事務を行う。

 それからすると、同協議会が無料広告の出稿要領を決める点、広報内容を客観的・中立的になるよう事前審査する点、一般広告を禁止する期間に政党取りまとめの広報(官製情報)が流される点は、憲法の禁止する検閲行為に近いものであると思わざるを得ない。

 協議会構成メンバーに有識者を加えることによって恣意(しい)性を排除したいというが、問題は国会機関が情報コントロールを行うという点そのものにある。あるいは広報内容は政見放送類似の恣意性が入り込む余地がないものにするので問題がないと説明するが、もしそうならば、徹底的に必要最小限度の「公報」に限定化すべきであろう。

政党優遇

 そして第3に、政党のみが手厚い優遇策を受けることで、一般市民の知る権利を侵害することの問題性である。一般広告を禁止する期間に政党のみが情報発信が許され、しかも新聞・放送への無料広告を認められている点、特別な法的保護を受けた政治活動(政党PR活動)がこうした国民投票運動とは別枠で自由に行える点、をどう考えるかである。政党が指定する市民団体に無料広告枠を付与することで政党のみの批判を解消できるというが、政党の意思のもとでの意見表明を表現の自由とは言わない。

 もちろん、メディアがもつ公共的空間によるフォーラム機能を重視する観点から、無料広告枠は存置するという考え方はあり得よう。ただしこうした工夫は、あえていえば最後の微修正の範囲であって、その前にまず、憲法改正のための手続きが憲法違反の可能性がある状況を、国会自らがただす必要がある。そのためにも、あらためて手続法の中身を精査し、再検討することが急がれる。
(山田健太 専修大学教授・言論法)