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<メディア時評・NHK受信料「合憲」>現行制度を消極容認 「公共の福祉」に危うさ

 1時間近く並んで中に入ったものの、判決読み上げはわずか5分足らずで閉廷、しかも判決主文は「上告棄却」だけ。6日、初めてNHKのあり方について憲法判断が下されるとして注目を集めた最高裁大法廷判決は、実にあっけないものだった。そんなこともあって、むしろ気になったのは、なんで15人も裁判官がいて女性はたった2人なんだろうとか、せっかくの大法廷判決なのに、なんで判決の読み上げくらい音声や写真撮影を一切認めないのだろう、という裁判所の「閉鎖性・後進性」だった。おそらくこうした司法を覆う空気そのものが、今回の判決にも色濃く影響していると考えた方がよさそうだ。

議論の余地残す

 最高裁で表現の自由が実質審理されること自体がそう多くはなく、ましてや大法廷で判決が出るのは、事実上、平成に入って3例目だ。前回は10年前の2006年、その前は1989年(平成元年)のレペタ訴訟と呼ばれる、法廷内のメモ採取の是非が争われた事件で、この判決によって傍聴人もようやくメモを自由に取ることができるようになったきっかけとなった事件だ。

 さらに遡(さかのぼ)ると、ほとんどが50年代の事件で、日本の戦後法制度の構築期において、取材報道の自由・名誉毀損・猥褻(わいせつ)・取材源秘匿・法廷内撮影・広告の自由などが正面から争われ、そして判断基準が示されたという、善きにつけ悪しきにつけ、まさに今日の言論の自由の基本的なルールが作られた司法判断であった。

 そしてその後しばらくの空白期間を置いて、80年代に入って立て続けに大法廷における新しい判断が続いたうちの一つが、先に挙げた法定メモ訴訟だったわけだ。それがゆえに、本当に久しぶりに表現の自由に関する大法廷判決ということで、ついついどんな新しい放送の自由や放送制度に関する解釈が示されるのかを(勝手に)注目していたということになる。

 そうした期待は完全に裏切られたわけではあるが、思い直せば、最高裁が余計な「公共性」論や「公共放送」観を言わないことで、むしろ私たち市民社会に自由な議論の余地を残したということからすると、評価してもよいかもしれない。なぜなら、あとで触れる通り、今回の判決の中身からだけでも、むしろ「危うさ」を感じさせる言い回しがあるからだ。

四つの論点

 判決は、四つの論点を提示した。現行放送制度の憲法上の位置付け、受信料制度の憲法適合性、そして具体的な契約の有効性としての受信料債権とこの権利の消滅時効の範囲についてである。前者二つは憲法問題、後者二つは民法上の争点ということができる。ここでは前者について、ポイントを絞って要約する。

 まず、日本の放送の二元体制(NHKと民放)の意義をあらためて確認し、公共放送たるNHKを社会全体で支えていく必要性をうたっている。また、知る権利を実質的に充足する制度として現行の受信料制度を位置付けた点は、従来の最高裁の表現の自由の考え方を踏襲するものでもある。次にその支え方として、視聴者とNHKの個別契約である受信料制度は、適正・公正な徴収手段であるとして、その合理性・適合性を認め、憲法上許される仕組みであることを正式に認めた。この点が、最高裁「初判断」としてニュースで紹介されたポイントである。

 なお裁判はもともと、2006年にテレビを設置した後、「偏った放送内容に不満がある」と受信契約を拒んでいた東京都内の男性を相手取り、NHKが受信契約締結と未払い分の支払いを求めて提訴したことに始まる。11年に始まった裁判はその後、東京地裁・高裁ともに、契約は義務と認めたうえで受信料制度は「公共の福祉に適合し必要性が認められる」との合憲判断をし、男性側に未払い分の約20万円の支払いを命じていた。双方からの上告を受け最高裁は昨年11月、憲法判断や判例変更を行うなどの時に開く大法廷での審理とすることを決め、今回の判決に至っている。

経営延命策

 では、この判決によってNHKの経営は安泰となったのかというと必ずしもそうは言えまい。例えば、NHKはインターネット上への業務進出を熱望しているが、判決でいう「公共放送」の意味合いをそのまま維持できるのか、できない場合は受信料制度自身が否定されるのか、むしろより不透明感が増したともいえる。

 あるいは、そもそも日本の現行放送制度を、公共放送たるNHKと商業放送の民放の2本立てと定義しているが、この言い方では民放は「公共」放送ではないということになる。しかしとりわけ地上波テレビは、実際にはNHK同様に公共性を有する放送として存在しており、その差異を広告の有無だけに求めるのには無理があるだろう。

 また、NHKを公共の福祉のための放送と位置付けたが、その中身も依然として曖昧なままで、判決文の中でも触れられた契約者への十分な理解を求めることが必要、とのNHK自身の責務をどう果たすかは、むしろ引き続き今後の課題である。というより、憲法上の公共の福祉論は往々にして、表現の自由に対する広範な制約事由として利用される場合もあるだけに注意が必要だ。

 NHKに求められる「公共」性については、有事や自然災害の際の情報提供といった狭い意味ではなく、あるいは形式的な不偏不党といった中庸報道を求めた事なかれ主義でもなく、真に多様で独立した、そして地域性豊かな番組を提供していく、「放送の自由」を実行する基礎としての公共性が実現される必要があるだろう。

 判決では15人中3分の1にあたる5人が補足・少数意見を付した。これは捉えようによっては、最高裁自体、今回の判決にしっくりいっていないことを表してはいないか。そう考えると今回の最高裁判断は、消極的に現行制度の維持を認め、当面のNHKの経営的延命策を授けたにすぎないともいえ、むしろ私たちがより積極的に公共的なメディアのありようを議論する必要を迫ったものであるといえるだろう。

(山田健太 専修大学教授・言論法)