琉球王国の遺構か、工事現場で発掘 石積みの水路、城下町の面影 


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那覇市首里大中町の中城御殿跡地にあり、琉球王国時代の町づくりをしのばせる石積みの「首里当蔵旧水路」の遺構=21日(中川大祐撮影)

 沖縄県が那覇市首里大中町で実施している県道29号街路整備の工事現場で、石積みの「首里当蔵旧水路」の遺構が発掘された。旧水路は首里城北側の古池「龍潭」沿いにあり、全体の一部。コンクリートの歩道地下から見つかった。琉球石灰岩で造られ、幅約70センチ、深さ60センチ、全長約60メートルに及ぶ。造られた時期について県立埋蔵文化財センターは、旧水路向かいにある「中城御殿」(なかぐすくうどぅん、かつての次期琉球国王の邸宅)の写真資料などから「少なくとも明治時代以前」と推定している。

 沖縄考古学会会長の當眞嗣一さんは「美化を考え、城下町が計画的につくられていた」と旧水路の歴史的価値を評した。

 旧水路はこれまで、那覇市教育委員会の調査で部分的に見つかっていた。同センターは旧水路について琉球王国時代、現在の首里交番近くにあった蓮小堀(りんぐむい)と龍潭をつなぎ、大雨時にあふれた池の水を龍潭に流し込む役割を果たしていたとし「琉球王国時代をしのばせる遺構」と推察している。

 同センターは旧水路の遺構を記録保存する予定。県土建部は遺構を崩して県道29号と龍潭の間に擁壁を整備する方針だったが、県文化財課から一部保存の要望を受けており「すぐに結論は出せない」としている。(高江洲洋子)