高校フィギュア、唯一の沖縄代表 北谷高・園田、初の全国舞台


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笑顔でポーズを決め、全国総体の予選突破を狙う園田りん=沖縄県南風原町(新里圭蔵撮影)

 22日に山梨県の小瀬スポーツ公園アイスアリーナで開幕した全国高校フィギュアスケート選手権大会に、沖縄県からただ1人、県立北谷高校1年の園田りんが24日の女子個人予選に出場する。同競技の沖縄勢としては3年ぶり2人目の出場となる。フィギュアスケートを始めて11年、高校入学以降では初めて臨む全国舞台だ。地道に練習を続ける努力家が決勝進出を目標に、銀輪で優雅に舞う自身を思い描く。

■遊び「封印」

 母の勧めで訪れた南風原町のスケート場で、フィギュアスケートに出合った。「跳んだり、回ったりする様子がとてもきれいだった」。優雅さとスピード感、力強さなど、初めて触れる競技が、5歳の少女に輝いて見えた。すぐに教室(クラブ)に通うようになり、技も徐々に習得。上達と同時に、華麗さにもますます魅了されていった。

 周囲にいつも明るい笑顔を振りまく。園田は「目が合った瞬間から友達」と、誰とでも仲良くなれる性格だ。友人も多いが、放課後は遊びを「封印」。北谷高から練習場(南風原町のサザンヒルスケートリンク)に直行する日々を送る。

 「何かを得るためには何かを捨てなければならない」と自身に言い聞かせ、平日3時間、土日は午前と午後合わせて6時間の練習を繰り返す。休みは平日の1日のみだ。

■負担大きく

 「フィギュアスケートを続けるのは本当に大変」と津留豊コーチは話す。5人いた同期のメンバーは、経済面、他の部活を始めるなどの理由で中学、高校進学とともに、全員競技から離れていった。フィギュアスケートの大会は県外開催で本土遠征費の負担は大きい。

 競い合いも県内ではほとんどなく、悩ましい点となる。小学低学年のころは、九州大会で金メダルや銀メダルを獲得した経験があるが、中学に上がると、競技者も増え切磋琢磨(せっさたくま)しながら実力を上げてくる県外勢に押され、ほとんどが予選敗退。ジャンプや指先まで意識した動きなど、課題にぶち当たった。ジャンプ時の回転不足やコンビネーションなど、取り組まなければいけないテーマは多い。

■一歩一歩

 積み重ねてきた努力がジャンプの種類を増やした。山内中3年時の中四国九州選手権は23位だった。中学最後の全国大会は、高校入試に向けての受験勉強のために不出場。残念な思いでいっぱいだったが、その時の思いを忘れずに、高校入学後も一歩一歩前へ進んできた。

 園田が練習を続ける原動力の一つとして、沖縄でフィギュアスケートのコーチになるという夢がある。「みんなにフィギュアの楽しさを知ってもらいたい。沖縄のフィギュアに対するイメージを変えたいです」。夢へのスタートは始まったばかり。はじけるような笑顔が成長をつなげていく。(喜屋武研伍)