「男子丸刈り」生徒の力で校則改正 アナウンサー・狩俣倫太郎さんが中学時代を振り返る


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アナウンサーの狩俣倫太郎さん

 かつて沖縄県内の中学校では男子は丸刈りが校則で定められていた。琉球放送(RBC)アナウンサーの狩俣倫太郎さん(44)は那覇市の城北中時代、丸刈りを拒否して登校し、学校との話し合いや生徒会活動を重ねて校則改正を勝ち取った。狩俣さんに当時の様子や今の生徒たちへのメッセージを聞いた。

 ―なぜ丸刈りにしなかったのか。

 「入学前から丸刈りが嫌で、学校が髪型を決めるのはおかしいと思っていた。親も同意見で学校に申し入れてくれたが、話し合いは平行線。長髪のまま入学式を迎え、自分が新入生代表あいさつに立って会場がざわついたのを覚えている」

 ―入学後、どんな学校生活を送ったか。

 「毎日、毎校時の休み時間のたびに生徒指導に呼ばれ、説得された。先生たちには『校則は守るべき』という信念があり、自分には人権問題としての信念があった。話し合いは平行線で『学校は変わらないんじゃないか』と諦めかけたこともあった。みんな丸刈りは嫌だから同級生たちは共感してくれたし、先生方にもいろんな考えがあり、職員会議が開かれていた。でも学校として校則を変える提案を受け入れる土壌はなく、思った以上にきつかった。家族の支えが大きかった」

丸刈りの校則が改正され、晴れて長髪で中学2、3年生を過ごして卒業式を迎えた狩俣倫太郎さん=1989年3月(狩俣さん提供)

 ―どのようにして校則改正が実現したのか。

 「自分が長髪でいることでみんなも毎日、目の当たりにすることになる。1年生の3学期にこの問題を生徒会で取り上げることになり、校則の改正案を生徒会から学校に出した。最終的に学校がOKした時は夢のようだった。理解ある先生が道筋をつけてくれたと思うが、自分たちで校則をつくるという自治に対する大きな学びになった」

 ―校則に納得できないという生徒たちへのメッセージを。

 「丸刈りでないと『不潔になる』『非行に走る』などと心配する人もいたが、実際には何の問題も起きなかった。みんな喜んで、同級生にはいまだに『うれしかった』と言われる。変える必要があると思うなら、行動を起こさなければ世の中は変わらない。気付いて勝ち取った人がいて初めて人権はつくられていく」(聞き手・黒田華)