墜落の証言収集「これが最後かも」 宮森小事故、60年に向け活動 米軍資料の翻訳も


この記事を書いた人 Avatar photo 与那嶺 明彦
米国立公文書記録管理局(NARA)から取り寄せた約2100ページの事故関連資料の解析を進める石川・宮森630会の久高政治会長=沖縄県うるま市石川

 1959年6月30日に沖縄県の米軍嘉手納基地を飛び立ったジェット戦闘機が同県うるま市石川(旧石川市)の住宅地や宮森小学校に墜落し、228人の死傷者を出した「石川・宮森小米軍ジェット機墜落事故」。事故を語り次ぐ活動を続ける石川・宮森630会(久高政治会長)は、事故から60年となる2019年に向け、新たな証言収集や当時の米軍資料の翻訳などを始めている。久高会長は「会の体制としても、体力的にもこれが最後の活動になるかもしれない」との思いを込める。

 宮森630会は事故から60年の事業として(1)証言集の発刊(2)米国立公文書館の関連資料の翻訳、資料集発刊(3)事故に関する平和メッセージの作品集発刊-の3事業を並行して進めている。

 昨年の夏、米国立公文書記録管理局(NARA)から約2100ページにわたる事故の関連資料を入手した。資料にはこれまで明らかではなかった遺族らとの賠償金交渉や患者の経過観察などが記録されているという。

 久高会長は「米軍が支払った賠償金額や決定に至るまでの経緯など、分からなかった部分が明らかになる」と説明する。昨年9月には、編集委員会を発足し、負傷者の経過観察記録や賠償金関連などの翻訳作業を進めている。

 翻訳資料を基に、当時の状況を証言してくれる人を捜し、聞き取り作業も2月から始めた。小学生の負傷者が多かったと考えられていたが、資料を分析すると、当時は宮森幼稚園の園児に当たる6歳児の負傷者も多数いたことが判明した。新たな証言の収集で久高会長は「違った視点から事故の概要が分かる可能性がある」と語る。

 事故の記憶を風化させないよう、今年6月からは平和メッセージの作品も募集する。平和を願う俳句や短歌、詩などの募集に伴い、県内の各小中高などで講話を開催したい考えだ。

 久高会長は「当時の事故を知る人の年齢は平均約70歳。これが最後の取り組みという気持ちで臨みたい」と話し、節目となる19年に向け、思いを新たにしている。