息子へ「天国で走って」 霊前になんぶトリム大会Tシャツ 名嘉さん夫妻


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名嘉伸太朗さんの霊前で今年のなんぶトリムのTシャツを持つ信二さん(右)と過去の完走証を手にする恵子さん=26日、那覇市内

 【南部】天国で伸び伸び走ってねー。18日の第30回なんぶトリムマラソン大会の3日前、大会を心待ちにしていた沖縄県立鏡が丘特別支援学校中等部1年の名嘉伸太朗(しんたろう)さん=享年13、那覇市=が病気で亡くなった。5歳から父の信二さん(53)とファミリーコースに出場し、小学5年で脳腫瘍を発症するまで5回完走した。今年は車いすで参加予定だったが、大会当日、告別式がしめやかに執り行われた。約2年にわたる闘病中も精いっぱい生き抜いた伸太朗さん。信二さんと母の恵子さん(50)は26日、大会のTシャツを霊前に供えた。

 伸太朗さんは幼少から野球が好きで、那覇市立古蔵小3年の時、古蔵イーグルスに入った。運動神経抜群で足も速く、ピッチャーからキャッチャーまで何でもこなす選手だった。

 なんぶトリムは、信二さんの職場の同僚の参加をきっかけに出場してきた。恵子さんは「伸太朗は『お父さんは遅い』と一緒に走らず、スタートから猛ダッシュだった」と振り返る。「大会の後、糸満のばくだんおにぎりを食べるのが好きだった」と信二さん。大会のTシャツは、普段着としても着用していたという。

第25回大会で雨の中、ファミリーコースを完走した名嘉伸太朗さん(右)と信二さん=2013年3月24日、糸満市西崎総合運動公園(名嘉さん提供)

 そんな伸太朗さんに異変が現れたのは2016年、小学5年生の2月。「頭が痛い」と訴え、4月に脳腫瘍と診断された。腫瘍摘出手術をしたが後遺症で首から下にまひが残り、車いすの生活になった。
 5年生の時もファミリーコースに出場予定だったが、体調が悪く不参加。17年は車いすコースを申し込んだ。大会当日、会場の糸満市西崎総合運動公園まで足を運んだが、あいにくの雨で出場をあきらめた。

 今年も車いすコースにエントリーした。「去年は会場で悔しい思いをしたので、とても楽しみにしていた」

 しかし2月中旬、体調を崩し再入院した。一時は回復したものの容体が急変し、3月15日、帰らぬ人になった。

 恵子さんは、火葬場でなんぶトリムの当日と気付いたという。「亡くなって2日間は小雨だったが、大会当日は伸太朗が好きな青空だった。みんなのことを考えて晴れにしてくれたんだと思う」。

 信二さんは「病気になって2年、制約ばかりで好きなことができなかった。天国で伸び伸びと体を動かし、たまには夢の中で活躍を報告してほしい」と語る。

 「もっと走りたかっただろうね。いっぱい野球もしたかっただろうね」。信二さんと恵子さんは、伸太朗さんが天国で自由に走り回り、大好きな野球を楽しめることを心から祈っている。(豊浜由紀子)