「被害ありのまま報告」 宮森小事故、元米兵の東恩納さん語る


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講演会で「事故を受け他人の命を思う大切さを考えさせられた」と語る、元米兵として聞き取り調査した東恩納良吉さん=20日、うるま市石川の石川保健相談センター

 【うるま】沖縄県出身で米軍の少尉として1959年の宮森小米軍ジェット機墜落事故の被害者への聞き取り調査をした東恩納良吉さん(82)=米ハワイ州=が20日、うるま市石川の宮森小学校を訪れ、犠牲者18人の名前が刻まれた慰霊碑「仲よし地蔵」に初めて花を手向けた。東恩納さんは「胸がいっぱいだ。平和のことをもっと考えていかなくてはいけないと感じた」と話し、刻銘された一人一人の名前に目を通した。

 東恩納さんは60年5月20日から約10日間、被害者宅を回り、けがの状況などを聞き取り「東恩納リポート」としてまとめた。20日、その当時の思いなどを、石川保健相談センターに集まった約30人の前で語った。

 講演で東恩納さんは「医学の知識はなかったが、被害者の声をありのままに伝えることが私の任務だった」と振り返り、「精神的苦痛を訴える声も報告したが、それが賠償につながらなかったことは残念だ」と声を落とした。事故を受け「人間として他人の命を思う大切さを考えさせられた」と明かした。

 東恩納リポートには「顔が崩れてしまった娘は生涯、苦しむだろう。米国政府は精神的に苦しむ者のことも考えるべきだ」と訴える母親の声や、「賠償金が支払われなければ手術をすることができない」と語る父親の声などが多く記録されている。同リポートは石川・宮森630会を中心に事故から60年となる来年に向け翻訳作業が始まっている。