平和願う思い継承 八重瀬・山梨出身者慰霊塔 建立者の孫ら訪問


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除幕式の後の慰霊塔と山中幸作さん=1953年6月15日(提供)

 【八重瀬】八重瀬町具志頭に1953年、私財を投じて山梨県出身者の戦没者を悼む慰霊塔を建立した同県身延町出身の山中幸作さん(1894~1957年)の孫の幸子さん(68)=身延町=と望月須磨子さん(64)=埼玉県=ら8人が21日、祖父が建立した慰霊塔を訪れた。八重瀬町の新垣安弘町長らも参列して慰霊祭が行われ、黙とうの後、「ふるさと」を歌い戦没者のみ霊を慰めた。また、山中さんが撮影した写真や当時の手紙など100点余が八重瀬町に寄贈された。

祖父が建立した慰霊塔を訪れた(前列左から)孫の望月須磨子さんと山中幸子さん、「千の風」の笠井京子さんら。後方中央が山中幸作さんが建立した慰霊塔 =21日、八重瀬町具志頭

 山中さんは、建設会社の社員として沖縄に滞在した。旧具志頭村は山梨県出身の戦没者が多かったことから他府県に先駆けて慰霊塔を建立。計5基を建てた。66年には、山中さんの慰霊塔の隣に山梨県関係者の戦没者を弔う「甲斐之塔」が建立された。

 幸子さんと妹の望月さんは、身延町立図書館朗読ボランティア「千の風」のメンバーと20日から2泊3日で来県した。

 幸子さんは「祖父は戦後間もない沖縄に来て多くの人が犠牲になった大変な惨状に心を痛め、平和への思いを込めて建立した。二度と戦争が起こらないよう、若い人に語り次いでいきたい」と祖父の思いを受け継ぐことを誓った。「千の風」代表の笠井京子さん(67)は「平和の大切さを持ち帰り、身延町の高校生や周りの人たちに伝えたい」と語った。

 新垣町長は「今日のご縁をしっかり結んで、太く、長く交流を続けていきたい」とあいさつした。

 山中さんが撮影した53年前後の写真30点は6月3日まで八重瀬町役場1階(午前8時30分~午後5時15分)で展示されている。