児童らの傷 克明に 米軍ジェット機宮森小墜落 米資料から写真


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痛々しい事故の傷が残る幼稚園児=1960年6月13日、陸軍病院(石川・宮森630会提供)

 【うるま】うるま市宮森小米軍ジェット機墜落事故で負傷した児童らの治療過程を収めた写真が、米国立公文書記録管理局(NARA)の資料から新たに見つかった。同事故の悲劇を語り継ぐ「石川・宮森630会」(久高政治会長)によると、写真は事故から4カ月後の1959年10月から撮られており、これまでに確認されてきたけがの様子を収めた写真の中で最も古い公的な記録であるとしている。今回見つかった写真には生々しい傷跡ややけどの跡の写真もあり、墜落事故がすさまじいものであったことが改めて浮き彫りとなった。
 写真は、児童ら32人が陸軍病院で約2年間、治療を受けた経過が記録されたNARAの資料800ページの中から見つかった。写真の中には頭部に大けがを負った幼稚園児の写真や両腕に肌が変色するほどの重度のやけどを負った児童の姿などがあり、痛々しいけがの様子が見て取れる。

痛々しい事故の傷が残る男児=1960年5月19日、陸軍病院(石川・宮森630会提供)

 630会によると、これまで確認されている写真は、リハビリの様子や事故数年後に撮影されたものが多く、事故からまもない時期に被害者の傷跡などを克明に記録したものは数少ないという。同会の久高会長は「写真から初めて個人のけがの様子を知ることができた」とし、「事故のすさまじさを物語る貴重な写真だ」と語った。
 同会では事故から60年を迎える来春ごろまでにNARA文書を翻訳しまとめた資料集の発行を目指している。
 墜落事故は59年6月30日、うるま市(元石川市)の宮森小学校に米軍のジェット機が墜落炎上し、死者18人(後遺症で亡くなった1人含む)、200人以上がけがをした。戦後の沖縄で最大の米軍機事故といわれている。