芸能・文化

<メディア時評・平成を振り返る>情報の流れに変化 マスメディア 縮減進む

 今春の代替わりを前に、「平成」時代の振り返りが盛んだ。報道という面からみると、崩御・自粛報道に始まり、忖度(そんたく)やフェイクニュースに染まった中で終わろうとしているということになる。きわめて示唆的であるが、すでに時代の冒頭で、いま大きな課題となっているメディアの過剰自主規制、社会全体の慮(おもんぱか)り状況が現出していたということだ。

 別の見方をすれば、マスメディアとりわけ新聞の社会的存在・影響力が一気に低下した30年間であった。日本国内の広告費や業界売上高でみた場合、それまでの中核であった新聞業界の広告比率や産業規模が半減し、それに代わって台頭したのがインターネットであり、ちょうどいまその広告費が新聞を上回る状況にある。

 こうした傾向は、平成前半の10~15年間はまだはっきりと認識されていなかったものの、いまに続く厳しいメディア批判の高まりを思い返すならば、着実かつ確実に進行していたといえるだろう。そして21世紀に入って以来、表現の自由の縮減状況は法制度上にも、そして日常社会のなかでも明確に表れるようになったということになる。

 また同時に進行したフルデジタル化あるいはデジタル・ネットワーク化の流れは、情報の流れを一方向から双方向性に大きく転換するとともに、だれもが容易に世界に向けて情報発信をすることを可能とした。しかもその情報は、瞬時に地球上を駆け巡るだけでなく、未来永劫(えいごう)ネット上を浮遊する時代を迎えることになっている。

 そうしたなかで、ライツビジネスは市場の拡大によってより巨大化するとともに、個々人の行動記録を利活用する個人情報ビジネスが活性化し、プライバシー意識が高まる一方で、国家や一部の企業が膨大な個人情報を占有し、それを本人の知らないところで知らない形で利用することが一般化した30年でもあった。

表現の自由

 そうした状況を、まだ記憶に新しい2018年の1年間で振り返ることで再確認し、新たな年、来るべき新時代の身の処し方を考えることとしたい(順番は重要度と比例してはいない。=の後は「平成」時代全体の流れを示す)。

 (1)政府公文書の隠蔽・改竄(ざん)・廃棄の闇深し=平成は情報公開制度が各自治体に始まり国レベルでも整備され、政府と国民の間で情報の共有化が始まった時代であったが、その一方で官僚・政治家のなかではそれに抗して「記録を残さない」動きが強まっている。

 (2)憲法改正で緊急事態条項導入浮上、国民投票法ではCM規制強化も=日本社会の「緩やかな合意」だった非戦に揺らぎが見え始め、戦争ができる国作りが進んだ時代であった。それに伴う秘密保護法制や緊急事態法制の整備は、表現の自由の制限に直結するものであった。

 (3)放送制度改革で官邸筋から民放廃止論も。関連して4K8K放送が始まるなかNHKは受信料値下げとネット本格進出決定=戦後すぐに確立した地上波中心・NHK民放並立の放送制度が大きな転換点を迎え「公共メディア」とは何かが問われている。

 (4)東京都でヘイト規制条例成立、集会の事前規制も。関連して、新宿区で公園利用制限始まり実質デモ規制=ヘイトスピーチが大きな社会問題となり規制立法が成立するなどの新しい動きが見られた一方、従来の例外なき表現の自由の大原則に「穴」をあけ、公権力による表現の事前規制を容認する動きが強まっている。

 (5)消費税軽減税率で新聞定期購読料は認められるも雑誌・書籍は棚上げ=平成の始まりはマスメディアに対する優遇措置として再販が大きな議論の対象となり、いままた税制優遇措置の対象を巡り「表現物の善し悪し」についての峻(しゅん)別が始まっている。

ジャーナリズム

 (6)自民総裁選で新聞各社に公平報道要請=放送行政をはじめとして、「公平性」を理由とした公権力の露骨な報道圧力が始まり強まったのも、奇しくも平成の時代と重なる。

 (7)犠牲者氏名の非公表・被害者の匿名化が一段と強まる=犯罪被害者の保護名目と、社会全体のプライバシー意識の高まりを受け、新たな法制度が整備され、警察の匿名発表が広がるとともに、「実名」報道に対する厳しい批判が寄せられるようになった。個人情報の利活用については、米国グローバルIT企業をはじめとする利用拡大の動きと、忘れられる権利などEUで進む新たな保護政策が同時進行する状況だ。

 (8)沖縄県知事選で地元紙がファクトチェック実施。関連して、沖縄報道での温度差広がり対立へ=オルタナティブファクト、フェイクニュースが流行り言葉になるなか、ポイントは権力による批判・異論の封殺にある。また、SNS上の「悪意なき」拡散が、誤ったイメージの固定・助長に寄与する状況を産むことに対する対抗策も出始めている。

 (9)テレビ朝日のセクハラ告発がメディア内でも意識改革の端緒に。関連して、メディアの内の「働き方改革」始まる=とりわけ女性の社会的地位の低さはいまに始まったことではなく、今もって日本社会の大きな課題であるが、その人権意識の低さは政界とともにメディア界において最も象徴的に表れている。そうしたなかで、ようやく新聞・テレビの世界でも女性記者・ディレクターが当たり前に存在するようになり、その結果、様々なハラスメントが社会的に問題視されるようになってきた。

 (10)安田純平さん解放を受け「自己責任論」再燃=単に危険地取材のありようにとどまらず、個としてのジャーナリズム活動、報道の社会的役割とは何かという根源的なテーマを改めて浮き彫りにしている。これは、時代を通じて大きな報道課題・対象である「災害」報道にも通じるものだ。

 ほかにも昨年は、『新潮45』がLGBT差別論考を引き金として事実上廃刊したり、漫画海賊版ブロッキングで賛否が分かれる一方、著作権法改正で企業の無断スキャンが許容されたりもした。ここに挙げた事項は、今後しばらく、表現の自由あるいはジャーナリズムを考えるうえで議論を続けていく必要があるテーマであろう。

(山田健太、専修大学教授・言論法)

 









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