宮平洋氏が死去 あす午後5時から告別式 元副知事、大田県政支える 85歳


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 大田県政時代に出納長、副知事を歴任した宮平洋(みやひら・ひろし)氏が28日午前7時49分、肺炎のため南風原町の県立南部医療センターで死去した。85歳。仲里村(現久米島町)出身。告別式は30日午後5時から6時、那覇市銘苅3の22、サンレー那覇北紫雲閣で。喪主は妻エミ子(えみこ)氏。

 宮平氏は1933(昭和8)年生まれ。琉球大卒業後、56年に那覇市役所に入り、総務部長や企画部長を経て89年に収入役に就いた。90年の県知事選で初当選した同郷の大田昌秀氏に請われ、県政発足と同時に出納長として三役入りした。98年1月に副知事に起用されたが、大田氏の知事選敗北に伴い同年12月に辞職した。2001年から沖縄大学理事長を務めた。

 那覇市役所で県都のまちづくりに取り組んできた行政実務の経験を生かし、県政最大の課題だった基地問題や産業振興で大田氏を8年にわたり支え続けた。