沖縄と元号 日中の元号両方使用の時代も


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琉球国王尚家関係資料に併記されている中国と日本の元号を紹介する豊見山和行琉球大教授=1日午後、琉球大学

 平成に変わる新元号として「令和」が決まったことで、注目を集める元号。沖縄は中国と日本の元号の両方を使用していた時代があった。その間約300年。琉球の歴史に詳しい琉球大の豊見山和行教授は「君主の時間支配と元号は密接に関係している」と語る。

 元号発祥の地、中国では前漢の時代に初めての元号「建元」(紀元前140~同135年)ができた。その後、元号制度は日本やベトナム、朝鮮半島に伝わった。日本では「大化」から独自の元号が定められ使われるようになった。

 沖縄では琉球王国が1372年から明の冊封体制に入ったことで、主として中国の元号が使われてきた。豊見山教授によると、中国の暦を使用してきた琉球では民間レベルまで元号が浸透していたという。

 一方、1609年に薩摩藩の侵攻を受けて支配下に入ると、江戸幕府とのやりとりを考えて日本の元号も使い始めたが、その後も中国の元号が主として使われ続けた。尚家文書の中にも中国の元号を先に書き、その後に日本の元号や「和暦」などが書かれていた。

 ただ、明治政府が琉球藩を設置した後に雲行きが変わる。1879年の「琉球処分」により、公文書で中国の元号が消滅。民間レベルでは使用され続けたが、日清戦争で清が負けたことにより影響力が低下し、中国の元号が使われなくなっていった。

 豊見山教授は「東アジアでは中国元号が基本で、日本の元号は薩摩とのやりとりのために使い分けていた。元号が変わると社会があたかもリセットされたように思えるが、実際は君主の時間支配と密接に関係している」と指摘した。