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<メディア時評・天皇皇室報道>祝い一色に危険性も 菊のカーテン 一層厚く


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 カウントダウン報道が続く。「東京オリンピックまであと○日」はひと休み中だが、代わりに「新元号発表まで」「退位まで」「改元まで」と、天皇・皇室関係のニュースが日々の紙面や番組の大きなスペースを占める毎日だ。しかも祝祭・慶祝ムードに溢(あふ)れ、ひと色の報道になりがちだ。こうした、報道量や報道質の偏りや、それに伴う取材態様は、「事件」報道全般における日本のジャーナリズムの特徴ではあるが、それがややもすると読者・視聴者たる市民を誤った方向に導きかねない危険性もある。そして何よりも、報道機関の信頼性を脅かすことで自分の首を締めることにつながってもいる。

「自粛」の渦

 まずは30年前、「昭和」の終わりに針を戻してみよう。1988年9月19日から、年明け1月7日の「Xデー」と、その後の新天皇即位前の、「異様な」取材・報道を原体験した世代は、すでにほとんど報道機関内にいない状況になっているようだ。それだけに、改めて振り返っておくことに意味があるだろう。

 日本国中が天皇吐血に始まり、新聞紙面では連日1面で「今日のご病状」が報じられ、日本国中に「自粛」の渦が巻き起こった。そしてこの一極集中過熱報道とそのための取材は、111日間に及ぶことになる。報道機関は天皇の容体を把握し報道することを最優先課題とし、1社50人にも及ぶ記者を皇居の周りに24時間張り付け、皇居への人の出入りを監視することで、容体の変化を推し量ろうとしたわけだ。主要な門の前には報道テントが立ち並び、雨の日も風の日も、しかも年末に向け底冷えがするお堀端で、ひたすら「待ち」の取材が続いた。

 そのある種の集大成の紙面が年明けの「天皇陛下 崩御(ほうぎょ)」報道であったということになろう。本紙を含めごく僅(わず)かの新聞だけが「ご逝去」を使用する中(ほかに、沖縄タイムス、長崎、新日本海、苫小牧の計5紙)、大多数の新聞は大正天皇死去時に合わせたといわれる「崩御」使用によって、多くの国民は改めて非日常を認識し、さらなる自粛ムードが高まっていったことになる。そしてこうした特別感が「畏れ多い存在」との感情を育み、それがまたメディアに帰ってくる中で、量だけではなく質においても多くの制約がかかる結果となる。

冷静に報じる

 前回は、「哀しみ」と「賛美」から、「服喪」と「追悼」、そして「奉祝」という流れを辿(たど)った。その大きなヤマ場であった死去に際しては、新聞は2千万部といわれる号外を発行し、通常は朝刊にある社説を夕刊に掲載した。テレビは2日間にわたって特別番組を組み、民放はコマーシャル抜きの放送を行った。もちろん出版界は、我れ先に特集号や別冊を発行した。それらはほぼすべて「天皇のため」の報道であったというのが特徴である。そうした中で当時、以下のような問題の整理をしたことを思い起こす。

 (1)国民主権の現憲法下において、天皇は戦前のような主権者ではなく象徴である以上、天皇の元首化、神聖化を促すような報道は慎むべきである。

 (2)天皇や天皇制に関する議論・批判は、自由かつ多角的に行われるべきであり、そうした自由はいかなるレベルにおいても完全に保障されなければならない。報道機関は、自らの存在基盤である言論の自由を率先して守る社会的責任を負っていることから、これらの権利侵害に対しては敏感に反応し、社会に訴えていくべきである。

 (3)天皇・皇室に対しても、取材・報道の自由が不当に制限されるようなことがあってはならないのは当然であり、政府及び宮内庁における干渉や制約は、公式・非公式を問わず許してはならない。行政機関は、公的情報である天皇・皇室の情報を速やかに国民に知らせ、公開する義務を負う。

 (4)政教分離は極めて厳密に行わなければならない。一般の市民の信教の自由が不当に制約されるような、内心の強制があってはならないことは、憲法の要請である。この基準からの逸脱に対し、報道機関は常に監視の目を光らせねばならない。

 こうした状況は改善されたかといえば、むしろより不安視される状況になってはいないか。例えば、生前退位を決めた皇室会議の情報は闇の中である。ごく短文の議事要旨は公表されたが、そもそも議事録(会議記録)自体が存在しないと政府は発表している。各種の継承行事についての検討経緯も一切公表されていない。菊のカーテンはむしろ一層厚くなっている節さえあるということだ。

 元号の制定に関しても、前回同様、報道界の代表(新聞協会、民放連、NHKの各会長)が「元号に関する懇談会」メンバーとして参加した。前回は、こうした報道界の関与を、天皇制と表裏の関係にある元号制定に直接関与することに問題視する声が業界内からもあがったが、今回、そうした話は聞かない。いわば、こうしたグレーゾーンに対する感覚は麻痺(まひ)してきているということだ。

 昭和天皇が手術を受けた87年段階では、共同通信社編集幹部が業界の機関誌的存在の『新聞研究』に、「現行憲法を厳密に解釈し、象徴天皇制が憲法の枠からはみ出し、膨張していく危険な過程をチェックしていく」必要性を訴え、「自らの中に菊タブーが存在していたらそれを排し、再び元首化への道を歩ませないことだ」とまで記している。

 それでも結果は「平和への強いご意欲」を賛美することになったのである。こうした平和を希求する天皇像は、今回の方がより強まるであろうし、それはまさに、憲法改正で元首化を目指す現在の政治状況と重ねて考えざるを得ない。

 こうした冷静さを失いがちな天皇皇室報道は、日常から緊張感をもって報道できるかどうかにかかっていよう。例えば、その1つは「過剰敬語」をどう排するかだ。こうした小さなことからメディア自身が自らの立ち位置を確認することで、憲法規定にあった報道がなされ、それが社会に正しい理解をもたらすことであろう。

 

(山田健太、専修大学教授・言論法)