陛下、沖縄思っていた 古希祝いの席で「沖縄にはご苦労を掛けています」 大工哲弘さん出演に非難、わだかまりも


この記事を書いた人 大森 茂夫
非難を浴びながらも「天皇陛下古希のお祝い」に出演した当時を振り返る大工哲弘さん=25日、那覇市

 天皇陛下は30日、退位を迎える。陛下が古希を迎えた2004年、皇居内で開催された祝賀会に出演した民謡歌手の大工哲弘さん(70)は、参加に際して周囲から非難を浴びた。祝賀会で大工さんは陛下の求めに応じ、船出歌「だんじゅかりゆし」を披露した。当時を振り返る述懐から、歌がつなぐ陛下と沖縄との結び付きの一端が浮かび上がってくる。

 平和を希求し、不条理を歌で訴え続けてきた大工さん。「天皇陛下古希のお祝い」に出演を決めると非難の嵐にさらされた。きっかけは出演を知らせる小さな記事だったが、反響は大きかった。出演予定だった他のイベント関係者からは「遠慮してほしい」と言われ、仕事のキャンセルが相次いだ。

 「お祝い」は全国の民俗芸能を集めて行われることになり、民謡協会の全国組織を通して出演依頼があった。ただ、悲惨な沖縄戦を経験した県民感情を踏まえると、昭和天皇の「戦争責任」が頭をよぎり、周囲に言い出せず、自身の中でもわだかまりがあった。

 復帰運動で盛んに歌われた「沖縄を返せ」。大工さんは1994年発表のアルバムにこの歌を収録した。翌95年に米兵少女乱暴事件が起こり、反基地運動は全県に広がった。歌詞の一部「を」を「へ」に変え、米軍基地に奪われた土地を「沖縄へ返せ」と歌い、県内外の集会などで披露した。
 

天皇陛下の古希を祝う民俗芸能公演会に出演する大工哲弘さん(後列中央)ら=2004年3月14日午前、皇居「桃華楽堂」(代表撮影)

 「遠慮してほしい」と言われたのは歌に共感してきた人だった。出演を辞退すべきとの声もあり「非常に落ち込んだ」。ただ「古希のお祝いなんだから行っといで」と母に背中を押され出演を決めた。

 すると天皇・皇后両陛下から曲のリクエストがあった。両陛下が皇太子夫妻だった75年、訪問した名護市済井出のハンセン病療養所「沖縄愛楽園」から帰ろうとした際、入所者が合唱した船出歌「だんじゅかりゆし」だ。「もう一度聞きたい」ということだった。

 大工さんは「とぅばらーま」など4曲を披露した。陛下は手拍子をしたり、手踊りをしたりして楽しんでいた。「お祝い」の後、大工さんは天皇陛下から声を掛けられた。

 「沖縄には大変ご苦労掛けてます」

 説明はなかったが、沖縄戦や基地問題を強いられている苦しみ、琉球王国に侵攻した薩摩藩主島津氏の末裔(まつえい)であることを気に掛けているとおもんぱかった。

 大工さんは声を震わせながら語る。「火炎瓶を投げられ、非難を浴びながら11回も沖縄に足を運んだ。こんなに沖縄のことを思っている人はいないのではないか。あの時、行って良かった」
 (仲村良太)