ベトナムの元難民は沖縄の水産高校の実習船に助けられた 命の恩人に36年ぶりに再会「今の私は皆さんのおかげ」


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36年ぶりの再会を抱き合って喜ぶ南雅和さん(左)と翔南丸の船長だった宮城元勝さん=13日午後、那覇市銘苅のジミー那覇店

 祖国ベトナムを離れ、1983年8月8日にホーチミン沖で沖縄水産高校の県実習船「翔南丸」に救助されたベトナム出身の南雅和さん(50)=東京都、ベトナム名ジャン・タイ・トゥアン・ビン=が13日、沖縄を訪れた。同船船長だった宮城元勝さん(75)=那覇市、旧姓下地=や元船員らと36年ぶりの再会を果たした。「ありがとうございます」。命をつないでくれた宮城さんらと抱き合った南さんは涙ながらに感謝を伝えた。

 南さんは当時14歳。苦境を逃れるため、難民105人を乗せた木造船でベトナムを後にし、出航から4日後に翔南丸に見つけられた。船長だった宮城さんの判断で南さんを含めた全員が翔南丸に移り、助けられた。同船はフィリピンのマニラに針路を変え、同国政府が南さんら全員を受け入れた。宮城さんとはその時に別れを告げて以来の再会となった。

 13日夕、宮城さんや当時の乗組員ら関係者約25人が那覇市内の飲食店で歓迎会を開き、南さんを囲んだ。南さんや救助された難民105人は米国やフランスなど世界各地に渡って暮らしていると説明し「船長、乗組員の皆さまのおかげで105人の命が助かった。ありがとうございました」と声を震わせながら深々と頭を下げ感謝した。

 難民を救助した翔南丸だったが、当時の日本政府関係者からは「余計なことをした」などと嫌みを言われた。それでも南さんの感極まった様子を目の当たりにした元乗組員らは「船長の判断は間違っていなかった」と誇らしげに語った。

 南さんは今、千代田区内幸町でベトナム料理店「イエローバンブー」を営んでおり「自慢のフォーを食べに来てほしい」と呼び掛けた。宮城さんは「みんなで行く」と東京での再会を誓った。 (中川廣江通信員)